レイ・ブラッドベリ『刺青の男』ハヤカワ文庫 1976年

 「みんな,この絵を見たがる。かと思うと,みんな見たがらない」(本書「プロローグ 刺青の男」より)

 9月上旬の暖かい昼下がり。徒歩旅行中の“わたし”は,ひとりの男と出会う。全身を刺青で覆われたその男は,ひとつひとつの刺青に物語があるという。その夜,かたわらで眠る男の肌から刺青が浮かび上がる。18の刺青から18の物語が…

 実家に帰省したときに書棚で見つけた1冊。20年ぶりくらいの再読です。初読のとき,もちろん「おもしろい」と思いましたが,今回,読み返してみて,認識を改めました。素晴らしい!
 本編は,梗概にも書きましたように,「刺青の男」の身体に描かれた18の刺青のひとつひとつが,ちょうどフォログラフのように浮かび上がり(それ自体が幻想的ですね),18の物語を描き出すという体裁になっています。SFを基調としながらも,ホラー・テイストあり,奇妙な味風あり,メロドラマあり,笑話あり,せつない物語あり,と,作者の幅広いイマジネーションが詩情豊かな文体で綴られています。

 人間以外の動物は,数十万年,数百万年という時を費やし,みずからの肉体を変化させながら自然環境に適応し進化していきます。それに対して人類は,肉体の外側にある「道具」を産み出し,それを変化・改良させることで,ホモ・サピエンスという単一種でありながら,熱帯から極地まで,地球すべての自然環境で居住可能になりました。そしてついには地球外の環境までも飛び出そうとしています。
 しかし,他の動物に比べるとあまりに急速で多様な環境への進出,肉体と精神の変化が追いつかないハイスピードな「道具」の進歩は,人間と環境・道具との齟齬を生じさせています。「変わらない人間」と「変わる環境・道具」との間のギャップです。それは現実においても実感されるとともに,SF作品では,それを,より鮮明かつグロテスクに描き出しているように思います。
 たとえば「万華鏡」は,宇宙船の事故で四方八方に吹き飛ばされる宇宙飛行士たちの孤独と絶望を描いています。宇宙の中で,互いに無線で応答しあえるというSF的シチュエーションでありながらも,そこで浮かび上がる孤独と絶望は,避け得ぬ「死」を目前にした人間本来のものと言えましょう。また「日付のない夜と朝」は,地球を離れ,宇宙という茫漠たる空間の中で病んでいく宇宙飛行士の姿を描いています。人間は,地上に立つからこそ「上と下」「前と後ろ」「右と左」を認識でき,自分の場所を確かめることができるのでしょう。それが失われたとき,この作品の主人公のような狂気が産み出されるのも納得できます。
 「ロケット・マン」は,少年の目を通して,夫婦の哀しみを描いています(これは,萩尾望都がマンガ化している「宇宙舟乗組員(スペースマン)」 なのかな?) 宇宙時代特有の哀しみであるとともに,そこに共感できる部分があるのは,人間が変わらないことに由来するのでしょう。また「その男」「火の玉」は,宇宙時代における宗教の有り様を仮想した作品。それぞれ,欲望に囚われたため奇跡を逃してしまう男の悲喜劇と,異星人に「布教」を試みる宗教者の姿を描いています。後者の異星人に人類と同じ「罪」を見いだそうとする思いこみは,なにやら背筋の冷たくなりそうな教条主義が感じられます。
 火星に隔離された不治の病の男と超能力者との皮肉な関係を描いた「訪問者」は,民話の「金の卵を産む鶏」を彷彿とさせ,上記「その男」と同様,SF的手法を用いた寓話となっています。「コンクリート・ミキサー」も寓話的な手触りを持った作品です。侵略者さえも貪欲に取り込んでしまうアメリカ資本主義のカリカチュアなのかもしれません。
 しかし変わらないのは,人間の哀しみや弱さだけではありません。本書最後のエピソード「ロケット」は,宇宙時代を舞台にしながらも,その宇宙に飛び立てない家族の哀しみと幸せを描いています。これまでの作品で,時代が変わっても,人間の愚かさや欲望,狂気に変わりがないことを描いてきた末に,家族の愛情もまた変わらないのだ,と宣言しているような,ラストにふさわしいハート・ウォームな1編です。
 もちろん環境や時代の変化は,一方で人間を否応もなく変えていく,という側面も有しています。冒頭の「草原」は,人工的環境とヴァーチャル・リアリティが発達した時代におけるジェネレーション・ギャップを,ホラー・タッチで描き出しています。それにしても今でこそオーソドクスなSFホラーながら,初出が50年以上前(1951年)であることを考えると,その先見性に驚かされます。また,黒人だけの住む火星に,地球から白人の乗った宇宙船が到着するという「形勢逆転」は,人種差別が産み出した憎悪の果てに,主人公のセリフでそれを一気に昇華させているラストがいいですね。「変わる」ことも必要なのでしょう。

 このほかにも本書には,さまざまなテイスト・趣向の作品が収録されいます。「狐と森」は,秀逸なSFサスペンス。おぞましい「現代」から「過去」に逃亡した夫婦と,その追っ手との間の駆け引きを緊迫感たっぷりに描いています。またラストでの意外なツイストもグッド。本集中,一番楽しめました。「マリオネット株式会社」は,「人間と思っていた相手がじつは…」と「ロボットの反乱」という,ロボットもののオーソドクスなモチーフをコンパクトにまとめています。ショートショートを2編読んだような気分。「町」は,コンピュータに支配される町を訪れた宇宙飛行士たちの恐怖を描いたSFホラー。最後に明かされる「町」の意図が意想外で楽しめました。「侵略テーマ」の「ゼロ・アワー」は,「子ども」を上手に扱っている点で,ホラー作品としての常套と言えましょう。子どもの幼い話し言葉が恐怖を盛り上げています。
 「街道」「今夜限り世界が」は,ともに「世界の終末」をモチーフとした作品ですが,「終末」らしからぬ,どこか茫漠とした雰囲気が漂っています。また「長雨」は,雨が降りしきる金星を彷徨う男の話。男が念願の場所へとたどり着くラスト,これってもしかして男が死の間際に見た「夢」なのかもしれません。さらに「亡命者たち」は,火星に,A・E・ポーA・ビアースが潜んでいるという,メタ・フィクション的な作品。詩人の心を持ったSF作家のペシミスティックな「本音」なのかもしれません。これらはSFではありますが,どこか「奇妙な味」風な手触りがありますね。

02/08/30読了

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