白石一郎『異人館』講談社文庫 2001年

 「待てない人はどこへも行けない人です」(本書より)

 200年以上におよぶ鎖国の扉を開いた日本。野心に燃える商人たちは,その「新天地」を目指す。若きイギリス商人トマス・グラバーもそのひとりだった。上海で知り合った元武士の山村大二郎(林大元)とともに長崎に降り立った彼は,幕末という歴史の転換期に深く関わることになる・・・

 しばしば「日本人は外国人の目を気にしすぎる」という言葉を目にし耳にすることがあります。たしかに外国人の言っていることがつねに正しいとは限りませんし,また外国人だって,自民族を至上とするがゆえの偏見を持っていることもあります。ですから,そういった批判に肯ける部分もありますが,しかしその一方で,外国人,というか異文化の人々から見た「日本」には,わたしたちが普段気がつかなかった部分がクローズ・アップされている場合も多々あります。良きにつけ悪しきにつけ,自分自身を省みるひとつの手がかりになることは確実でしょう。

 さて本編は,いわば「外国人が見た明治維新」といったところでしょうか。主人公は幕末に来日した商人トマス・グラバー。長崎の観光名所「グラバー邸」という白い瀟洒な建物で有名ですから,名前だけは知っていましたが,その詳しい人生,日本との関わりについてはほとんど知りませんでした。彼は安政6年,開国したばかりの日本−欧米諸国にとっては長いこと厚いベールに隠されていた神秘の国−に来て,長崎を足がかりにしながら貿易商として急成長していきます。その間に,薩摩藩の五代才助小松帯刀,長州藩の高杉晋作,土佐の坂本龍馬といった,幕末の「ヒーロー」たちとの交流が描かれます。また滞日中に起きた事件−桜田門外の変・生麦事件・薩英戦争などなど−が挿入され,彼ら幕末の志士たちの姿や歴史を大きく転回させた事件が,グラバーの目=外国人の目を通して描き出されていきます。
 その際に,作者は,それらを「彼らの言葉」で書きます。たとえば「将軍」は「タイクーン」,「天皇」は「ミカド」,「大名」は「封建貴族」,「志士」は「ローニン」といった具合です。それは単に,外国人が日本の制度やシステムを,自分たちの理解しやすい言葉に置き換えただけのことなのかもしれませんが,その置き換えによって,幕末維新の情勢は,教科書で習うような「歴史」−日本人が日本を描いた歴史−とはひと味違う「顔」を持つようになります。
 そしてまたグラバーは商人ですから,つねに社会情勢を経済の動き−要するに自分が儲かるかどうか?−という視点で見ています。彼にとって,薩摩や長州を援助することは,作中で述べられているような彼の「政治好き」という性格や,歴史の転換点に立ち会う高揚感がもたらしたものであるとともに,一種の「投資」(あるいは「投機」)であるという描き方も新鮮に感じられます。

 しかし作者は,「外国人の目」だけでなく,もうひとつ別の視点を設定します。それは山村大二郎=林大元の視点です。かつて尊王攘夷派であった彼は,争論の末,人を斬り,清国へ逃亡します。そして中国人「林大元」として帰国,グラバーの日本での活動をサポートします。林大元は,グラバーにとって,日本(人)に関する良き情報提供者でありますが,ときにグラバーたちに対する批判者にもなります。たとえば外国商人たちが幕府のやり方や「ローニン」たちの外国人敵視に対して不満を漏らすとき,彼は,諸外国が日本を恫喝するようにして開国させたやり口を指摘し,またアヘンを大量に持ち込んで清国をズタズタにした歴史を突きつけます。
 さらに,政治に深く足を踏み入れ,幕府を追いつめる薩長を絶賛するグラバーに向かって,彼は「あの連中は退屈だった。それだけだよ」と,あっさりと言い切ります。それは「尊皇攘夷」という「時代の狂気」に巻き込まれ,故郷を捨てなければならなかった自分自身を振り返っての,シニカルな評価と言えましょう。林大元の視点は,「外国人の目」という「日本」を相対化する視点を,さらにもう一度相対化させる視点として機能していると言えましょう。その結果,本編は,グラバーを主人公にしながらも,「外国人の見た明治維新」という一方的な,そしてときに独善的とも言えるような視点だけによるのではない「もうひとつの明治維新」を描き出すことに成功しているように思います。

 作者が「あとがき」にも書いているように,新聞の連載小説であった関係上,あまりにも膨らみすぎた物語は,やや尻切れトンボ的なエンディングを迎えています。作者は「これはこれでいい」と書いていますが,わたしとしては,やはり「その後のグラバー」の物語もぜひ読んでみたかったところです。とくに林大元がグラバーの元を離れたのち,違うスタンスでグラバーに再会すれば,また新しい展開があるのではないか,などと想像しました。

01/03/20読了

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