大原まり子『ハイブリッド・チャイルド』ハヤカワ文庫 1993年

 「そもそも“正しい”とはどういう意味だろう。立場によって,状況によって,それはあまりにも違いすぎる。“正しい”と信ずるためにはそれぞれに宗教が必要なのだ」(本書「ハイブリッド・チャイルド」より)

 人類と機械帝国との戦いに切り札として投入された“サンプルB群”。それは肉と機械との完璧な融合から生まれた“ハイブリッド”な戦闘用生命体だった。しかし,そのうちの一体“BIII号”が軍から脱走。意志を持たないはずの兵器がいったいなぜ? 軍隊の追跡を逃れながら,“BIII号”がたどり着いたところは・・・

 タイトルにありますように,「チャイルド=子ども」の物語です。あるいは子どもと親,とくに娘と母親の物語と言い換えることもできるかもしれません。

 軍を脱走した生体兵器“サンプルBIII号”の軌跡を,2編の短編,1編の中編で追いかけながら,作者は,「親子」「母娘」というモチーフを,繰り返し繰り返し各作品中に織り込んでいきます。たとえば最初のエピソード「ハイブリッド・チャイルド」では,“BIII号”は,有名な女性作家が住む,人里離れた一軒家で,ひとりの“少女”ヨナと出会います。しかしヨナは,すでに母親によって殺されています。過食症と拒食症とを交互に繰り返す,情緒不安定,いやさ狂気の淵に片足をつっこんだ母親に殺され,家の地下に埋められています。“BIII号”は,ヨナの残された肉体を“サンプリング”することで,彼女の体験・記憶・自我を吸収していきます。そしてそのヨナ=母親に殺された少女の自我を核としながら,のちの“BIII号”の自我を形成していきます。つまり物語はそのはじまりから「不幸な母娘関係」をベースとしていると言えましょう。
 さらにふたつめのエピソード「告別のあいさつ」には,“ブリキのロボット”である“ママ”が登場します。“BIII号”を彼女は母親として慕いながらも,彼女を置いて宇宙へと飛び出していきます。家事能力は優秀であっても,会話能力が低いロボットの姿は,かつての日本の「母親」の姿が見え隠れしているように思えます。彼女が好きであっても共存できず,“家”を飛び出していく娘の姿も,多くの家庭で見られた光景なのかもしれません。
 そして最終作「アクアプラネット」では,ふたつの「親子関係」が作品の重要なモチーフとして描き出されます。ひとつは,ヨナと,彼女の“ママ”ドラゴン・コスモスです。2世紀にわたって宇宙空間を漂ったヨナは,彼女を庇護する乗り物であるドラゴン・コスモスに“ママ”という偽人格を与えます。しかし惑星カリタスにたどり着いた後,ヨナは彼女を殺します。ヨナは,「この大きくて不細工でジャマなもの,毎日大量のエサを要求し,一歩も外に出ることを許さない,支配し,いつも不機嫌で,ブクブクぶざまに膨らみ,文句ばかり言う,やっかいで,うるさくて,うっとうしい,この腹立たしい生きものを,はっきり殺したい」と思い,そして実際に殺します。このような“親殺し”は,思春期において誰もが象徴的なレベルで経験することだと思いますが,作品ではそれをフィジカルな形で,グロテスクとも言える描写で描き出しています。
 しかしその“親殺し”は,ヨナに思わぬ効果を与えます。それは彼女自身の“少女”から“女”への変化です。“親”を殺した“少女”は,否応なく,自分自身が“親”に,少なくとも“親”になる可能性を秘めた“女”にならざるを得なくなります。シバダニエルに対する恋愛感情の自覚は,母親への依存的な愛(同時に母親の娘への依存的な愛)の否定(“親殺し”)から生まれたものなのでしょう。
 本編に登場する,もうひとつの“母親”は,惑星カリタスを支配する人工知能“ミラグロス”です。以前は慈愛に満ちた“母親”であったミラグロスは,アディプロトン機械帝国の攻撃を受け,「学習障害」を起こし,“狂って”いきます。しかしその狂気――カリタスに住むすべての人々を飲み込み,吸収し,覆いつくそうとする狂気は,どこか「母性」が潜在的に持つ性向を表しているように思います。あるいは,神話伝説時代の「大地母神」的な性格と言えるかもしれません。すべてを育み,慈愛に満ちながらも,その一方で,すべてを飲み込み,けして自立を許さない,そんな「母性」「大地母神」の姿が投影されているように思います。ですから,ミラグロスにとって,ヨナの“親殺し”(=自立)は,自分自身の否定とも受け取られ,本格的に“狂って”いったのでしょう。

 作者は「文庫版あとがき」の中で,「ハイブリッド・チャイルドは自分自身」であると語っています。ストレンジャとしての孤独感と哀しみ,「(母)親」との関係性の中で自分自身を規定せざるを得ない苦しみ,「親」を殺すことで自分が「親」になるという行き場のないやるせなさ・・・SFという日常生活から離れた舞台を設定しながらも,そこで繰り返し描かれるテーマは,ずっと身近なものなのかもしれません。

00/07/30読了

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