梶尾真治『百光年ハネムーン』出版芸術社 1995年

 「・・・・ぼくも大好きだよ。こんな馬鹿げた話がさ」(本書「ヴェールマンの末裔たち」より)

 この作者の初期短編12編を収録した作品集です。
 この作者の作品の魅力のひとつは,SF的な設定を施しながらも,そこに,わたしたちが誰でも持っているさまざまな感情―たとえば愛憎や後悔,哀しみや孤独感,夢や希望などなど―を埋め込んでいる点にあると思います。そして,普段であれば鬱々と抱え込まざるを得ないそれらを,SF的な手法で「解放」させ,カタルシスを読者に与える点にあるのではないか思います。あるいはまた逆に,日常生活の中に埋没してしまった感情を,SF的奇想を用いて「増幅」させることで,忘れかけていたやさしさやせつなさを思い出させる点にあるのでしょう。
 気に入った作品についてコメントします。

「美亜へ贈る真珠」
 時間を圧縮して未来へ“タイム・トラベル”する「航時機」。それに乗った恋人に逢いに来る女性と知り合った“私”は…
 この作者のデビュウ作です。文章がいまひとつこなれていない感じはするものの,SFならではラスト・シーンが美しい作品です。「真珠」を巧く使っていますね。
「もう一人のチャーリィ・ゴードン」
 何もかも失った男は,ある科学者の生体実験を受けることを決意し…
 タイトルからもわかりますように,カジシン版『アルジャーノンに花束を』です。違うところは,主人公がわかっていながら,「選択」することでしょう。そのことが,より一層のせつなさを醸し出してます。ぼやかしていながら,それでいて哀しい結末を暗示させるラストも効果的ですね。
「玲子の箱宇宙」
 新婚旅行から帰ってきた玲子の元に届けられたのは,差出人不明の「箱宇宙」だった…
 設定にちょっと不自然なところがあるのが残念ですが,帰りの遅い夫を待ちながら「箱宇宙」を,じぃっとのぞき込む妻の姿と,その妻の心を暗示させるラストのカタストロフが不気味かつアイロニカルです。
「ファース・オブ・フローズン・ピクルス」
 銀河系の辺境惑星に住む“ぼく”は,タキオン通信でひとりの女性と知り合い…
 「お約束」とはいえ,主人公の朴訥な感じに好感が持てるせいでしょう,やはりこういった結末はホッとさせられます。それでいながら苦笑をさそう「オチ」も楽しいですね。
「トラルファマドールを遠く離れて」
 切越鱒次,67歳。病院のベッドに横たわる彼の心は,しかし,はるか離れた惑星トラルファマドールにあり…
 老人の心象風景をSF的な手法で描き出しています。“トラルファマドール”とは,老人が過ごし,そして失った幸せな日々のことなのかもしれません。そして荒廃した地球とは,彼が毎日過ごす病院の生活なのでしょう。どこか山岸凉子「スピンクス」を連想させます。
「梨湖という虚像」
 恋人を事故で失い,辺境の有人観測星に赴任した梨湖。数年に一度,彼女のもとを訪れる“私”が見たものは…
 幽霊がいるのかどうかは,わたしにはわかりません。しかし,人間の死後の魂が存在するという考えは,おそらく人間の歴史と同じくらい古いものではないかと想像します。むしろ幽霊とは,死後でも人の思いや心が残ってほしい,という生者の願いがこめられたものなのかもしれません。コンピュータを,人間の脳の活動(の一部)の外在化と,思い切って定義してしまえば,この作品で描かれるような「虚像」もまた,新しい時代の,生者の願望としての「幽霊」なのかもしれません。
「おもいでエマノン」
 学生時代,旅行に出た“ぼく”は,フェリーの中で,エマノンと名乗る不可思議な少女と出会い…
 どこで読んだか忘れてしまいましたが,「人は二度死ぬ」といいます。個体としての「一度目の死」と,その死んだ人に対する記憶の忘却・消失としての「二度目の死」です。人の死に対する不安は,この一度目の死と二度目の死に対するそれが混在しているのかもしれません。ですから,「地球上の生命30億年の歴史を記憶している少女」の「中」に,自分に関する記憶が「生き続ける」ことに,主人公はどこか安心するものを感じたのかもしれません。しかしそれがファンタジィであるがゆえに,二度目の「死」を迎えざるをえない読者に,憧憬とせつなさを感じさせるのでしょう。
「ヴェールマンの末裔たち」
 金策に窮した3人の男たちは,突飛な銀行強盗を計画し…
 「美亜へ贈る真珠」に出てきた「時間軸圧縮理論」の再登場です。こちらは「時間を止める側」の「泣き笑い」をスラプスティク風な味付けで描いています。登場人物たちを,子ども時代の愛称で通しているところが,この作品で描かれる「計画」の「遊び」的側面を強調しているように思います。ラストのセリフは秀逸。

00/07/14読了

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