京極夏彦『百鬼夜行―陰』講談社ノベルス 1999年

 「妖怪小説」とサブ・タイトルがついていますように,「妖怪」をモチーフとした短編10編をおさめた連作集です。それとともに,作者がこれまで書いてきた「京極堂シリーズ」の登場人物たち―脇役たち―を主人公とした,同シリーズの「サイド・ストーリィ」という体裁もとっています。ですから,シリーズを読んでいる読者には,「ああ,これは『姑獲鳥の夏』だな」とか「こちらは『鉄鼠の檻』か」と,過去の作品を思い浮かべて楽しむということができます。ただ,過去の作品を知らずに読んだらどうだろうか,と思われる作品もないではありません。
 たとえば「第二夜 文車妖妃(ふぐるまようひ)」は,閉ざされた過去の記憶を掘り起こす女性の前に,高さ10pほどの女形の怪異が現れるという内容ですが,本編を読んでいないと,ちょっとわかりにくいエピソードではないかと思います。また「第六夜 倩兮女(けらけらおんな)」も,笑うことができない女性が見る妖怪を描きながら,『絡新婦の理』のメイン・モチーフと深く結びついてますが,『絡新婦』のことを脇に避けて読んでみると,いまひとつ焦点が定まっていない印象が強いです。
 巻末に,発表時の内容に加筆されている旨が記されていますので,今回のノベルス化にあたって,意識的に過去作品と結びつける体裁をとった可能性もありますが,この短編集は,京極堂こそ出てこないものの,やはり「京極堂シリーズ」の1編なのでしょう。

 もちろん,独立した短編として楽しめる作品もはいっています。わたしが一番楽しめた「第五夜 煙々羅(えんえんら)」は,『鉄鼠の檻』事件とリンクしながらも,「煙」にとり憑かれた男の告白から構成された不気味な一編に仕上がっています。とくに,語り手祐介の話す内容が,次第次第に不可解な様相を帯び始めるのに対し,それは一所懸命,既存の枠組みに押し込めようとする牧蔵との間に,どうしようもなく「ずれ」が生じていくところは,鬼気迫るものがあります。
 また同様なテイストの作品として「第三夜 目目連(もくもくれん)」でも,周囲からの「視線」に苛まれる主人公の心を,医師が精神分析によって掬い取ろう掬い取ろうとしながらも,「掬い取れない」部分が怪異として立ち現れてきます。
 「怪異」とは,「妖怪」とは,既存の枠組み―日常の枠組み―ではどうしてもカヴァしきれない領野に潜むモノたちを指した言葉なのかもしれません。あるいはまた,広大な「世界」をすべて了解したつもりになっている偏狭な視野―「科学」と呼ばれる視野―の外側から訪れてくるモノかもしれません。

 そのほか,オーソドックスな怪異譚,怪談として楽しめる作品もあります。
 「第一夜 小袖の手」は,ひとりの少女の屈折した想いを絡ませながら,伝統的な怪異を描いた作品で,クライマックスで主人公が幻視する(?)シーンは,妖しくもまた美しい一景になっています。また「第九夜 毛倡妓(けじょうろう)」は,売春婦を嫌悪する刑事が,その理由を,自分の遠い記憶の中から見出すという,一種の「記憶もの」ですが,「あれはいったいなんだったんだ?」という怪異が,さりげなく,それでいて恐怖を高める上で効果的に描かれているように思います。

 ところで,「第十夜 川赤子」の主人公は,ご存じ関口君でありますが,つくづく思ったのは,こんな性格の男が,よく結婚したものだ,ということです(笑)。

98/07/21読了

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