帚木蓬生『閉鎖病棟』新潮文庫 1997年

 ある精神病院,そこにはさまざまな来歴をもつ患者が入院している。チュウさん,秀丸さん,昭八ちゃん,敬吾さん,そして外来の由紀。それぞれに事情を抱えながらも平穏に暮らす人々。が,ある日,患者のひとり,クロちゃんが失踪,そして殺人事件が・・・。

 「医学サスペンス」かと思って読み始めたのですが,予想は裏切られました。しかし,裏切られたからといって,つまらないわけではありません。いやむしろ,読み始めたらやめられなくなりました。流行りの「異常心理もの」ではありませんし,言語を絶する奇妙な妄想が描かれているわけでもありません。失踪事件,殺人事件は起こりますが,けっして不可解な謎とかミステリがあるわけでもありません。
 むしろ,“チュウさん”を中心に,淡々と病院での日常風景を描きつつ,物語は進んでいきます。淡々とした描写の中から,少々気恥ずかしい言葉ですが,「生きることの意味」のようなものが,じわじわとにじみ出てくる作品です。

 “チュウさん”は,医師のカルテに書かれた「精神分裂病」という文字について,それぞれまったく異なる個性をもつ入院患者が,すべて同じ病名で呼ばれていることに,疑問をもちます。「精神分裂病という病名は,人間を白人や黒人と呼ぶのと対して変わらないのではないだろうか。(中略)それなら主治医もやはり黄色人種だろうに,と少しばかり可哀相になるのだった。」
 また,彼が書いた脚本で劇が上演されることになり,一生懸命役づくりに取り組む患者たちについて,みな入院以前は,それぞれ職があり,個性があったにもかかわらず,「それが病院に入れられたとたん,患者という別次元の人間になってしまう。そこではもう以前の職業も人柄も好みも,一切合切が問われない。骸骨と同じだ」と述べています。この視点は,作者のそれを代言したものではないのかと思います。ですから作者は,登場人物たちの過去を,丁寧に描き出していきます。「精神病院に入院している患者」という,社会から被せられた仮面を剥ぎ取り,ひとりひとりの患者が,それぞれ独自の来歴と理由をもって,この病院にいるのだということ,つまり彼らが,病院の外にいる人々と同じように,ひとりの個性をもった人間である,と言っているのではないかと思います。それはもしかすると,わたしたちが,普通の生活で何気なくしている“レッテル貼り”的思考法を,けっして激烈,声高にではありませんが,穏やかな口調でいながら,しっかりと告発しているのかもしれません。

 ちなみに舞台は太宰府を中心とする福岡のようで,福岡弁(筑後弁か?)がたくさん出てきて,ちょっとなつかしくなりました。

97/05/18読了

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