大沢在昌『走らなあかん,夜明けまで』講談社文庫 1997年

 26歳になるまで,箱根の山を越したことがなく,出張で大阪の地を初めて踏んだ坂田勇吉。将棋博物館でアタッシュケースを盗まれた彼は,盗んだ男を追ううちに,極道の世界へと紛れ込んでしまう。おまけに助けてくれた真弓を人質に,対立する極道から五千万円を取り返してこいと,理不尽な要求を飲まされる。朝までに金を取り返せなければ,自分も真弓も南港の魚の餌にされてしまう。坂田は,右も左もわからない夜の大阪をひたすら走り回る。坂田の,そして真弓の運命は?

 以前テレビで,この作品の映画版を見て,けっこうおもしろかった記憶があります。主演の萩原聖人が,気弱だけど妙にタフな坂田の役を,好演していました(なぜタフかは,本作品を読むとわかります)。今回,文庫化されたので,読んでみました。大沢作品は初めてでしたから,こういった作風が,彼の持ち味なのかどうかはわかりませんが,おもしろかったです。映画よりもおもしろかった。とくにクライマックスの部分は,変にドラマチックにしている映画版より,はるかによくできていました。スピーディな展開で,主人公とともに,夜の大阪を疾駆しているような気分を味わえます。

 「ハードボイルド」という言葉は「やせがまん」と翻訳するべきだ,という文章を読んだことがあります。なるほどと思いました。いろいろな誘惑や脅し,利害関係や情に流されず,よくいえば硬い意志と倫理観を持って,平たくいえば「やせがまん」して生きていくのが,ハードボイルド小説の主人公たちなのでしょう。だから本編の主人公・坂田も,平凡で気弱な,闘争心の少ない人物でありながら,真弓を救うため,また会社の新製品(おかか味とガーリック味のオニオンチップス(笑))を取り戻すため,普段であればひたすらご遠慮願いたい極道相手に,おもいっきり「やせがまん」します。やせがまんして,やせがまんして,ついに真弓を救出し,新製品売り込みの会議にも間に合います。そんな「やせがまん」を貫き通した坂田もまた,たしかにハードボイルド小説の主人公なのだと思いました。

97/03/19読了

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