稲見一良『花見川のハック 遺作集』角川文庫 2002年

 「俺は信じている。言ってしまうより,言わずにすます価値がある。知るよりも,知らずにすます権利があると」(本書「男結び」より)

 以前にも何度か書いたことがあるかと思いますが,わたしは作家自身にはさほど関心はありません。極端な話,作者が犯罪者であろうが,変態性欲者であろうが,あるいは仏陀のごとき聖人であろうが(ふつう,そんな人は小説は書きませんが(笑)),作品がおもしろければ,それでOKです。
 ただしそれは,「作家は作品だけで評価すべきだ」という考えがないわけではありませんが,むしろ単なる「めんどくさがりや」に由来するもので,作家に関する情報を求めるより,その時間を別の作品を読んだ方がいい,という,それだけの話です。ですから逆に言えば,作家に関する情報が入ってきたらきたで,それによって作品に対する評価が変わってしまうというところが,素人の素人たるゆえんなのでしょう(^^ゞ

 さて本巻は,わずか10年という短い作家人生を終えたこの作者の最後の作品集です。それも死の間際に書かれ,死後に出版された「遺作集」です。そういった「作家自身」についてのもろもろの情報が,読んでいながら,どうしても頭の中から離れませんでした。各編の中に,あるいは「向こう側」に,目前に迫った死に対峙する作者の姿を見ざるを得ませんでした。
 たとえば「オクラホマ・キッド」「不良の旅立ち」。前者は,不良少年と不良老年が意気投合,いっしょに自衛隊の基地からC‐1輸送機を盗み出すという,奇想天外,破天荒な物語です。また後者は,主人公が,足の不自由な少年とともに,船に乗って大海へ旅立つというストーリィ。このリアルでいながらのファンタジィ・テイストという,この作者の真骨頂ともいえる作品は,ともに「旅立ち」のシーンで幕を閉じます。このことは,「解説」縄田一男も書いていることなので,二番煎じの謗りはまぬがれませんが,この幕引きに,作者自身の眼前に迫った「旅立ち」を見てしまいます。それはまた絶筆ともいえる「鳥」における最後の一文‐「俺は鳥のように飛んだ」に通じるものがあるように思います。
 さらに,不治の病に罹った主人公が,自分の死後,老妻に安楽な生活を与えるために,暗殺者という仕事を請け負うという話「花の下にて」や,子どもの視点から死んでいく父親を描いた「煙」などは,作者自身が見つめるみずからの「生と死」をストレートに描き出しているともとれます。
 一方,別のアプローチから「生と死」を描いた作品として「マリヤ」「シュー・シャイン」などが挙げられるでしょう。「マリヤ」は,隣に住み,同じ猟仲間であるヤクザの抗争に巻き込まれた女性主人公マリヤの「生」を,短いエピソードで浮かび上がらせています。ブラッディな作品にもかかわらず,マリヤの鮮烈なまでの姿には,一種の爽やかささえ感じられます。また「シュー・シャイン」は,恩人をヤクザに殺された主人公が,そのヤクザに復讐を企てる物語です。陰惨さを回避したラストに,ホッと肩の力が抜けます。
 本書後半に収められた諸編は,もし時間的,体力的に余裕があれば,もっと肉づけされてしかるべき作品群です。その中にあって,短いゆえに,宝石のような結晶的な美しさを持った作品が「男結び」です。ディテールはいっさい描かれていませんが,大切な人の回復を祈るための「地蔵を縄で縛る」という行為と,その「縛り方」を不器用な「男結び」でするというところに,主人公の真摯な気持ちをあざやかに表象させています。作者のダンディズムが濃厚に伝わってくる作品でもあります。

 「煙」の中で,死の間際でつぶやく主人公の一言‐「ああおもしろかった」。そんな風に言える人生を送れれば思います。

02/04/04読了

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