結城昌治『白昼堂々』角川文庫 1971年

 「強盗ならバカにでもできる。そして,たいていは捕ってバカを痛感するのがオチだ。力を使うより,頭を働かすことを考えろ」(本書より)

 疲弊した九州の炭坑町から上京した万引集団。“ワタ勝”こと渡辺勝次を中心に,都内のデパートを荒らしまくるが,当然,警察の目を引くこととなる。警視庁捜査三課第四係,通称“スリ係”の寺井刑事たちとの対決の行方は如何?

 スリや万引は,もちろん犯罪ですが,ミステリで取り上げられるさまざまな他の犯罪‐殺人や誘拐,強盗などに比べると,どこか「牧歌的」な響きがあります(まぁ,被害者の側からすればそんなのんきなことは言ってられませんが^^;;)。その理由のひとつには,スリや万引の持つ“非暴力性”があるかと思います。逃亡中に,刑事と乱闘になったりすることがあるとはいえ,基本的には万引やスリに「力」は使いません。冒頭に掲げたセリフは,そんなスリの“矜持”を表しているといえましょう。
 また本編中,スリや万引の「極意」として,相手の視線をそらし,その間に目的の物を“飲む”(=盗む)というやり方が語られます。この手法は,言うまでもなく,マジックや奇術の基本形であり,ひとつの「高等技術」でもあります。今でこそかなり薄くなってしまっていますが,この手の「職人芸」に対する「敬意」は,日本の中で脈々と流れる価値観のひとつとも言っていいでしょう。ですから逆にスリの側でも,そういった「職人気質」のようなものが形作られたのかもしれません。
 本作の,犯罪を描きながらも,どこか人を食ったようなタイトルとあわせて,全体のトーンとしてユーモアに溢れているところは,そんな万引やスリの持つ「牧歌性」に由来するからなのでしょう。

 作者は,そんなユーモアを出すためにさまざまな工夫を施します。ひとつは登場人物たちの性格設定。とにかく出てくるキャラが皆,基本的に「人がいい」というところがあります。万引集団を組織したワタ勝こと渡辺勝次にしても,その組織化の理由が,閉山した炭坑で「人間以下」の生活を送る人々の「更正」にあります。そのために保険みたいな積立金を作ったり,捕まったときの専任弁護士を手配したり,と背中のかゆいところまで手の届きそうな気配りです。
 また彼らを追う刑事の方も,たしかに警官として「スリ逮捕」に見せる情熱と執念は,なかなかのものがあるとはいえ,そんな捜査の途中,「ワタ勝はいい奴だった」とか「おれはあいつが好きだった」とかいったセリフを口にし,他の犯罪にはない独特の親密感を醸し出しています。
 そしてこういったユーモアを増幅させているのが,テンポのよい会話です。たとえばデパートに張り込む森沢警部,男ひとりでは不自然だと,奥さんを引っ張り出すのですが,文句つらつらの奥さんとの会話。「刑事の女房には刑事の女房の苦労がある」という警部に対して,「でも,結婚するときはそんなことは言わなかった。決して苦労はさせないと言ったはずよ」,と言えば,「おまえはどんな苦労でもすると言った」とやり返すといった具合です。
 ことさらに諧謔調に走ることなく,「ああ言えばこう言う」的なやりとりが随所に見られ,それがストーリィ展開に絶妙な軽快感を与えています。
 さらにこういったクライム・ストーリィでは,最後の幕の引き方が作品全体の印象を大きく左右しますが(ときに後味の悪い結末が作品の印象を暗くしたりします),本編はたしかビターなのですが,それでも苦笑を誘わずにはいられないラスト・シーンを用意しており,その点でも,それまでの作品のトーンを損なうことなく鮮やかに着地しているといえましょう。

 ところで作品中,デパートの「試着室」を丁寧に説明しているところは,「時代」を感じさせますね。今ではありふれた,言わずもがなの設備ですが,この作品が発表された頃はまだ定着していなかったのかもしれません。

02/04/07読了

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