日下圭介『偶然かしら』新潮文庫 1989年

 「ひとさまに説明できる意味なんて,ありませんよ。自分に対してだって説明がつかないんだから」(本書「消えない女」より)

 9編を収録した短編集です。

「偶然かしら」
 その日,浪岡が釣りに行っていれば,事件は起きなかった…
 「怪異」も「蘊蓄」もありませんが,フォーマットは,どこか「京極堂シリーズ」を思わせる1編。「あのとき,あれをしていれば(しなければ)」という日常的に感じる想いを導きの「糸」にしながら,思わぬツイストを仕掛けています。
「歌で死す」
 カラオケ・バーで,歌う直前に急死した男は…
 電車の駅とカラオケ・バー…見も知らぬ他人と近接して触れあい,知っているような知らないような奇妙な人間関係。そこから生じる“殺意”を,ミステリ的なひねりを加えて描いています。途中に挿入されるカラオケの歌詞が,テレビ・ドラマを見ているような雰囲気を醸し出しています。
「透明な糸」
 夫に愛人がいる? 妻の疑惑はふくらみ…
 主人公の心に芽生えた疑惑が,少しずつ少しずつ肥大していくのと,途中で,かつて憧れていた人物を登場させることで,「日常の破綻」を匂わせていくところは,お話作りが巧いですね。その上での着地は,ホッとさせます。
「消えない女」
 男が,毎年,同じ日,同じホテル,同じ部屋に泊まる理由は…
 全体としては,「2時間サスペンス・ドラマ」的な色合いが強い作品で,いまひとつ楽しめませんでしたが,ラストの処理が良いですね。このラストは,主人公に安心をもたらすのか,それとも新たな不安をもたらすのか,そこらへん想像が分かれます。
「健康のための殺意」
 男は妻から「健康のため」に酒も煙草も禁じられていた…
 「健康食品」で人を殺すという,アイロニカルな逆転の発想が楽しめます。また「もやし」と「殺人」が,どのように連関するのか? というところも作品にサスペンスを与えています。
「青い百合」
 “わたし”の教え子が,窃盗したと勤め先を馘首されそうになり…
 ネタは途中で見当つくのですが,主人公がそれに気づくきっかけがおもしろいですね。そこに至るまでの伏線もきっちりと引いていて,小気味よいです。
「仰角の写真」
 妻の“冤罪”をはらしてくれた女性が殺害された…
 事故をめぐる正反対の新聞記事,殺人事件,奇妙な投書,スナップ写真に秘められた謎…と,畳みかけるような展開が,ストーリィにほどよいリズム感を与えています。また複数の意図を交錯させることで,事件をよりいっそう不可解なものにしているところも巧いですね。
「印画紙の場面」
 死体の脇で泥棒を働く男を写真でとらえた大学生は…
 主人公の行動パターンの不自然さが目についてしまい,展開に無理が感じられます。もうちょっと鈴子をクローズ・アップした方が,彼女の持つ哀しみを巧く表現できたのでは?
「長すぎた一瞬」
 別荘で女性が殺害された日,少女は小鳥の写真を撮っていた…
 日下版『裏窓』(A・ヒッチコック監督)といったところでしょうか。なんといっても着眼点の良さが光っている作品です。それを写真に結びつけ,さらには殺人事件のアリバイへと展開させる手腕はお見事。

03/08/31読了

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