樹下太郎『銀と青銅の差』文春文庫 1984年

 1編の中編(直木賞候補作だそうです)と3編の短編を収めています。この作家さんの作品は,ずいぶん前に読んだ記憶がかすかにあるんですが,内容もタイトルも思い出せません(笑) 戦争ミステリだったような気もするんですが・・・(°°)

「銀と青銅の差」
 ある朝,発見された男女の無理心中死体。その背後に隠された殺意とは…
 冒頭に描かれた男女の心中死体には,名前が出てきません。誰と誰が死んだのか? それがこの物語のメインの謎となります。そのうえで,尾田竜平大江明,ふたりの勤める楡製作所の専務進士文明の3人の姿が描かれていきます。突如,課長代理から平社員に左遷された尾田は,その背後に進士専務の「悪意」を感じ取ります。同様に,商業画家としての道を陰険な形で専務に阻まれた大江は,恋人の千沙子に対する苛立ちを重ね合わせながら,専務に対する憎悪を蓄積していきます。そのあたりは,会社内の錯綜した人間関係を絡めながら,ふたりの殺意がしだいしだいに膨らんでいくプロセスをねっとりと描き出しています。
 しかし,この作者の巧いところは,進士専務の視点からの物語を加えることで,彼を「単なる悪役」にせず,いわばコミュニケーション・ギャップ,ジェネレーション・ギャップによる相互の不信感の形成という形で,三者の人間関係を浮き彫りにしている点でしょう。ときおり挿入される各キャラクタに対する辛辣な描写も,その「ボタンの掛け違い」にいたる過程を浮かび上がらせるのに効果的なものになっています。さらに,冒頭で示された男女にあてはまりうるキャラクタを登場させることで,事件の真相を結末まで不透明にしています。それがストーリィの牽引力となっていると言えましょう。
 「サラリーマンの日常から生じる殺意」という,「社会派推理小説」には「ありがち」な枠組みを設定しながらも,冒頭の謎,相互不信の増大と殺意の交錯,展開の不透明感など,秀逸なストーリィ・テリングです。
「死神」
 これまで4人の妻に死なれた男が出会った女は,4人の夫を亡くしていた…
 「配偶者運の悪い人」というのは,たしかにおられるようで,そんな「運の悪いもの」同士が結びついたらどうなるか,という発想ではじめられた作品ではないでしょうか? ラストの一文に苦笑させられます。
「骨」
 工事現場で発見された女性の白骨死体。社長は,以前,その土地に住んでいた人物を脅迫するが…
 タイトル通り「骨」をめぐる,なんともアイロニカルな悲喜劇を描いています。本編に出てくる「悪人」と「善人」の境目というのはどこらへんにあるのでしょうか? もしかすると両者の違いは,それこそほんの「ワン・ステップ」の差にすぎないのかもしれません。
「土とスコップ」
 妻が失踪したと警察に届けた夫は…
 この作品の眼目が奈辺にあるのか−夫婦間の感情のもつれなのか,妻の淫乱癖の哀しい由来なのか,それとも殺人者としては妙に醒めた夫の姿なのか,そこらへんがちょっとわからず,また叙述ミステリの洗礼を受けた現在のミステリ読みとしては,(もしかすると発表当時としては新鮮であった)仕掛けも,ちともの足りものがありました。

01/07/13読了

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