結城昌治『偽名』新潮文庫 1988年

 「人間の気持ちなんて,分かったらおしまいね。そう思うわ」(本書「影の歳月」より)

 7編を収録した短編集です。

「偽名」
 14年前,殺人を犯した男は,以来,偽名を名乗り続けるが…
 多かれ少なかれ,人は「秘密」を持ち,それを隠蔽することで日常の平穏さを保っているとも言えます。そして,その「秘密」の重さと,平穏の安定度とは反比例するのでしょう。主人公を待ち受けていた,皮肉な,そして無惨な結末は,ひとりの人間の死を隠蔽するという「重さ」と釣り合うのかどうか…
「蜜の終り」
 不倫相手が同乗した自動車で,タクシーと接触事故を起こした男は…
 恐喝者という「悪」は登場しますが,むしろその「悪」を招き寄せてしまう主人公の自分の都合ばかりで物事を考える身勝手さ,甘さが,より印象的です。
「影の歳月」
 戦友の殺人事件を調べる三村が,たどり着いた真相とは…
 ハードボイルド作家として知られるこの作者はまた,戦争の悲惨さ,軍隊の酷さを描く作家としても知られています(直木賞受賞作『軍旗はためく下に』が,その代表と言えましょう)。ひとつの殺人事件をめぐり,25年の歳月を経ながらも,「戦争の影」から逃れられない男たちの哀しい姿を描いています。
「夏の記憶」
 50歳過ぎの社長は,なぜ殺人を犯したのか…
 前作と同様,本編でも「戦争の影」が重要なモチーフとなっています。しかし,この主人公の殺害動機は,私怨ではありますが,同時に,まるで戦争がなかったことになっているような現代日本に対する告発のように思えてなりません。
「失踪」
 借金苦にあえぐ友人の失踪を,彼の妻から知らされた高岡は…
 妻子を苦しめるであろう莫大な借金を背負っても,「ルールを守る」浮気をしても,愛していればそれでかまわないのか? ラストで明かされる事件の真相,真犯人を責める気持ちにはなれません。わたしは,この主人公ほど友情に厚くないようです。
「寒い夜明け」
 ヤクザの元情婦と親しくなった刑事を窮地に陥れた事件の裏側には…
 善意とも悪意とも関係のない,「間が悪い」としか言いようのない出来事というのは,世の中にはあるものです。それは,のちになって「そんなこともあったっけ」と笑い飛ばせる類のものから,ときには人の命を左右しかねないものまで,さまざまです。「運命」と呼ばれるものの正体は,そういったものなのでしょう。
「雪の降る夜」
 息子のために,ヤクザから足を洗おうとした男は…
 義理と人情の板挟み,愚か者の暴挙によって迎える悲劇的エンディング…う〜む,あまりに様式的な任侠の世界といった感じの作品ですね。

03/03/27読了

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