篠田節子『贋作師』講談社文庫 1996年

 日本洋画壇の大御所・高岡荘三郎が自殺。保管庫いっぱいに残された彼の作品の修復を依頼された修復家・栗本成美は,それらのなかに,高岡の弟子で,彼女の美大時代の同級生・阿佐村慧の作品が含まれていることを知る。高岡の晩年の作品は,慧の手により代作されたのではないか? また自殺とされた彼の死の真相は? 

 さながら極彩色の地獄絵図を見せられているようです。傲岸で,俗物根性丸だしの「巨匠」,淫乱で奔放な浮き世離れしたその妻,優れた技術を持ちながら,自ら描きたいテーマを見いだせず,師匠の妻との愛欲に溺れていく若き芸術家,遺産を巡って欲望をむき出しにする画家の姪・・・。おまけに,十分にどろどろした設定のところに飛び込んでいくのが,思い込み激しく,直情径行タイプの主人公なものですから,もう耳を聾さんばかりの不協和音。読んでいて少々げんなりしました。それと,主人公の阿佐村慧に対する思い入れというか,事件を解明していこうとするモチベーションが,いまいちピンと来ませんでした。主人公は彼のことを「彼女自身のもうひとつの人生」と呼んでいますが,彼女にとって,慧の絵を世に出そうとすることは,技術ばかり卓越していて,自らのテーマのない自分に失望して,「修復家」への道を選んだ主人公が,同じような慧が「芸術家」として苦悩して,ついには自分の境地を切り開いたことに対する,一種のエールなのでしょうか? それとも単なる代償作用といってしまったら酷でしょうか? そのあたりの描写がもう少しあると良かったのではないかと思います。それから,主人公の行動パターンが,どうもいきあたりばったりというか,出たとこ勝負のような感じがします。クライマックスのところで,「相手は人殺しなのよ」という才一(このキャラクターはいいですね)の忠告に関わらず,あまりに軽率のような気がしてなりません。まあ,それはそれで,そういうキャラクターなんだ,と言われればそれまでですが。もっとも,クライマックスシーンは,なかなか迫力があり,また引かれていた伏線が効いていて,うまいことまとまっています。

 篠田節子の作品は『アクリウム』や『神鳥ーイビスー』など,何冊か読んだことがありますが,残念ながら楽しめたという印象は薄いです。おそらく作品の善し悪しというより,どうも,「馬があわない」ということなのでしょう。でもまた文庫が出たら買ってしまうんだろうな(笑)。

1997/04/28読了

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