エドモンド・ハミルトン『フェッセンデンの宇宙』河出書房新社 2004年

 「落ちていくのがうれしいのは,最後には落ちるしかないのが,翼あるものの宿命だからだ」(本書「翼を持つ男」より)

 「奇想コレクション」と銘打たれたシリーズの第4集です。9編を収録しています。

「フェッセンデンの宇宙」
 「実験室で宇宙を作り出した!」…天才科学者は,“わたし”にそう告げた…
 SF的体裁を取っていますが,本質はホラーと言えましょう。そして,その「ホラー的本質」が,ふたつ盛り込まれています。ひとつは「世界の不安定さ」に対する恐怖。もうひとつは,人間のうちに潜んだ欲望−誰もが持っているであろう「支配に対する欲望」−に対する恐怖です。両者をSF的アイテムを介して,鮮やかに結びつけています。
「風の子供」
 周囲の村人に畏怖される“風の高原”で,男はひとりの少女に出会った…
 主人公の言動に,どこか違和感と傲慢さを感じるのは,わたしたちが,「野生」よりも「文明」を,ためらいもなく「善」と判定することができない時代に生きているからなのかもしれません。しかしおそらくは,その傲慢さを主人公も心の奥底で感じ取っているのでしょう。それゆえに,「文明」に戻っても不安をぬぐい去れないのだと思います。
「向こうはどんなところだい?」
 第二次火星探検隊から帰還した“ぼく”は,火星で死んだ同僚の家族と会うが…
 けっしてツイストや仕掛けがあるわけではないのですが,ラストの落とし所,というと落語みたいですが,「あ,なるほど,そういう物語だったんだ」と得心させる,幕引きがじつに巧いですね。つまりSFから,すっと日常性へと引き寄せられるのです。ある程度お年を召した方なら,この主人公の気持ち,わかるのではないでしょうか。
「帰ってきた男」
 墓場から帰還した男を待っていた運命は…
 「生きながらの埋葬」という古典的な素材から端を発して,物語を「恐怖」ではなく,「哀愁」へと展開させていく着眼点がいいですね。そう,「皮肉な」と嗤ってしまえない,他人事ではない生々しさをともなった哀れさがあります。
「凶運の彗星」
 その彗星は,地球になんら影響を与えず,通り過ぎていくはずだったが…
 その昔,遊星との衝突を避けるため,地球の軌道をずらしてしまうという国産特撮映画『妖星ゴラス』というのがありましたが,思わずそれを連想してしまう,奇想天外,荒唐無稽,さすが『キャプテン・フューチャー』の原作者!!といった感じの作品です。ただ,奇想天外は奇想天外でかまわないのですが,途中,登場人物のひとりが,とうとうと,数ページにも渡って「事の真相」を語ってしまうというのは,小説作法として,いまひとつですね。
「追跡者」
 SF作家の仲間が語り出した,奇妙な経験とは…
 SFの特質のひとつである「視点の相対化」を,ミステリだったら「叙述トリック」とも言える仕掛けを巧みに用いて描いた,秀逸なショートショートです。
「翼を持つ男」
 電気爆発に巻き込まれた母親から生まれた少年には,背中に翼があった…
 本編の主人公の生を,たとえば若き天才芸術家の生涯のメタファとしてとらえることも可能ではありますが,主人公が空飛ぶシーンの躍動感や,彼が感じる高揚感の丁寧な描写に,むしろ,(作者の)空への,鳥への憧れが強くにじみ出しているように思えます。
「太陽の炎」
 水星から戻った男は,なぜ宇宙探査局を辞めたのか…
 ストーリィの中心は,「主人公は水星で何を経験したのか?」というミステリにありますが,作者が描きたかったのは,そんな主人公の想いよりも,ラストでの,主人公の上司で友人のセリフ−現実を受け入れ,その上でもう一歩を改めて踏み出そうというセリフにあったのではないかと思います。
「夢見る者の世界」
 異世界の勇猛な王子と,おだやかで小心な会社員…ふたつの“夢”を生きる男は…
 「夢」と「現実」を描いたフィクションにおいて,読者にとって「より自分に近い方」を「現実」として読み進めるのは,自然というものでしょう。そしてそこに,作品の「現実」がじつは「夢」だったというツイストを仕掛けるのも,常套手段と言えます。本編は,そんな予想の足下をすくうようなSF的着地をしている点がユニークと言えるのではないでしょうか。それにしても,王子カール・カンのシンプルな人生,そしてそれに“協力”したスティーヴンの人生に,はかとない憧憬の念を抱くのは,わたしだけでしょうか?

04/06/27読了

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