清水義範『似ッ非イ教室』講談社文庫 1997年

 いやあ,おもしろかったです。清水義範の本領発揮!という感じの作品集です。巷に数多あるエッセイ,コラムのパスティーシュです。つまり「似非のエッセイ」だから「似ッ非イ」。じつにいろいろなタイプのエッセイ,コラムのパスティーシュが読めます。

 たとえば「単数と複数」。英語は単数と複数を厳密に分けるけど,日本語にはそれがない。そこから日本人の集団主義や責任回避的性格へと話が広がっていきます。ありますよね,こういうの。細かいところの違いから,国民性とか,文化とかに強引に一般化していく「辛口コラム」みたいなタイプ。要するに「日本人=集団主義vs欧米人=個人主義」みたいな図式が最初からあって,それにあてはまるように見えるエピソードをたらたら書き連ねるようなエッセイです。似たようなものとして「最低の国家」みたいに,ひたすら「日本」をこきおろすタイプのコラムもあります。そういったコラムニストが「自分だけは違う」と思っている心性を,じつにうまくパスティーシュしています。また「けしからん」のように,私怨まるだしのくせに,さも義憤であるかのようなコラムもありますねえ。

 あるいは「親ごころ」のような,家族ネタというか,親ばかまるだしのエッセイ。娘と息子の扱いがぜんぜん違うのが笑えます。「忠犬ハム公」も家族自慢というか犬自慢。また「職業遍歴」は自分の経歴をとうとうとのべるエッセイ。「自分は作家になるまでこんなに苦労したんですよ」的なタイプです。「ゼイ・ゼイ」は趣味自慢あるいは特技自慢。それがマイナーであればあるほど,あるいは特殊であればあるほど,なんとなくエッセイ風になってしまうのが不思議です。「これが最高」は,世間でほとんど知られていない映画や相撲取り,コメディアンを取り上げ,持ち上げる「自分だけは知ってるんだぞ,評価してるんだぞ」的なタイプ。一種の「蘊蓄話」とでもいうのでしょうか。「病弱で休みが多かったけれど,じつは一番強かった相撲取り」というのは大笑いしてしまいました。そういうのは「弱い」と言うの(笑)。「セントニベア便り」「セントニベア続報」は,旅先から原稿を送るというエッセイ。「わたしは今この原稿を××××のホテルで書いている」っていう書き出しの文章,「いかにも」という感じです。「酔中日記」「男の自信」は,日記形式のエッセイ。とくに「男の・・」は,飲み屋や料亭の名前を,なんの注釈をつけずに書くあたり,一昔前のスノビズムの感じがよく出ています。「匂いの粒子」は,日常をつらつら書き連ねるのが「エッセイ」と勘違いしている「エッセイ」ですね。

 それから「馬だって欠伸する」は丸○才○,「男の勘違い」は中○翠あたりのパスティーシュでしょうか?

97/07/25読了

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