佐江衆一『江戸職人綺譚』新潮文庫 1998年

 江戸時代は「職人の時代」とも呼ばれ,現在,わたしたちが手にする「伝統工芸」の多くは,起源そのものはより古く遡るとしても,江戸時代に洗練され,完成されたものだといいます。いやさ,今では復元する術さえない,高度な技術と美意識によって創り出された工芸品も少なくないと聞きます。それは「職人気質」に支えられた「技」なのでしょう。この連作短編集は,そんな職人たちを主人公とした作品9編を収録しています。
 気に入った作品についてコメントします。

「開錠綺譚 錠前師・三五郎」
 尊皇佐幕で揺れる江戸,錠前師の三五郎は,奇妙な開錠の依頼を受け・・・
 「錠」とは何ものかを封じるもの,隠すもの。それゆえ「錠」は,つねにミステリアスであり,ときに神秘的な色合いさえも帯びるときがあるように思います。そして「錠前師」とは一方で余人に開けられぬ錠前を作りながらも,その一方で他人の作った錠前をみずからの技術と才覚で開けることにも喜びを感じる人間のようです。「封じるもの」であるとともに「開けるもの」でもある錠前師のユニークな心持ちが,幕末という世相と巧く絡み合わせながら描かれているように思います。あっさりしたラストも可。
「一会の雪 葛籠師・伊助」
 旅の途中で死んだ女から,昔の恋人への手紙を託された茶店の女主人おすぎは・・・
 不思議な手触りを持った作品です。たった一度しか会ったことのない男,それも肌さえも合わすことのなかった男への恋心を描いてます。女の一途な想い,男の「技」への執念は,平凡な人生を歩む主人公の心に何ものかを残していったのかもしれません。あるいはまた,死んでしまった女の「想い」が主人公に憑いた,とも思えます。
「雛の罪 人形師・舟月」
 雛人形の飾りの太刀は,少女の首に深々と刺さっていた・・・
 わたしの好きな「人形ネタ」です。けして怪異な存在が出てくるわけではありませんが,少女の死を契機に,「人形」をめぐる不可思議な人間関係が浮かび上がり,幻想的な味わいがあります。
「対の鉋 大工・常吉」
 茶室の普請を任された常吉,彼が大事にしていた対の豆鉋の片割れが紛失した・・・
 職人気質の常吉に思いを寄せる少女の心の揺れ動きを活写しています。またその常吉の「職人ぶり」が,多少ペダントリックなところはありますが,ひしひしと伝わってきて好感が持てます。ところで,今でも建設会社が新築の家の「模型」を作るというのは,江戸時代からあったんですね。
「水明り 桶師・浅吉」
 夜鷹のおりんは思った。「あ,この人だ」と・・・
 夜鷹と桶師の一晩を描いた,掌編ともいえる小品。映画のワン・シーンを彷彿させるストーリィです。状況説明を省くことで,より一層,描かれざる背景が鮮やかに浮かび上がる寸法です。この作品集では,一番のお気に入りです。
「昇天の刺青(ほりもの) 女刺青師・おたえ」
 鳶職・吉五郎の背に“九紋龍”を彫り上げたおたえは・・・
 刺青というのは,やはりどこかエロチックなものがあります。ましてや,女刺青師が男の肌に彫っていくシチュエーションは,それだけで淫靡な雰囲気が溢れています。

99/02/27読了

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