横山秀夫『動機』文春文庫 2002年

 4編を収録した短編集です。表題作は,第53回日本推理作家協会賞を受賞しています。

「動機」
 保管されていた警察手帳30冊が盗まれた。一括保管を起案した貝瀬は窮地に立たされ…
 「警察官であること」に対する考え方,スタンス…それがポイントなのでしょう。生活そのものが「警察官」であったため,退職後,急速にぼけてしまった父親を持つ貝瀬。それゆえに彼は警察手帳の一括保管を起案しますが,そのことは同時に「警察官であること」にこだわる刑事部の益山との反目を招き寄せます。また規律厳守を信条とする警察官である大和田は,「反面教師」として息子たちに疎まれていきます。「警察官であること」をめぐるさまざまな考えや行動が,警察手帳盗難事件の背景として設定され,作者は,それらをじつに巧みな人物描写によって切り取って見せています。そう,ストーリィ展開の中で,ごく自然に各キャラの「姿」をくっきりと描き出していく手腕は見事と言えましょう。「キャラを引き立てる」ということは,けっしてエキセントリックな性格を付与することではないということがよくわかります。そしてラスト,事件の「トリック」は,少々あからさまな伏線によって見当はつくのですが,作者は,そこにもうひとつ仕掛けを施すことで,読者を驚かせるとともに,人物造形とマッチングした「動機」を鮮やかに浮かび上がらせています。
「逆転の夏」
 女子高生殺しの前科を持つ山本の元へかかってきた電話…それは殺人依頼だった…
 お話づくりの巧いこの作者にしては,やや冗長な観がなきにしもあらず,ですが,それでも,過去に殺人を犯した主人公が,社会復帰を目指しながらも,しだいしだいにふたたび犯罪に手を染めていくプロセスを,じっくりと描き込んでいます。激情による殺人と,練りに練られた計画的な殺人とが,コントラストをなすように描かれながら,そこから生じる「被害者」と「加害者」との関係−まるで絡み合う数匹の蛇のように,どこが「頭」で,どこが「尻尾」なのかさえわからないような錯綜した両者の関係が浮かび上がってきます。たとえ重苦しく苦みのあるものとはいえ,ラストでの主人公の決意は,とにかく「手持ちのもの」でやり繰りしなければならない現実において,やはり「救い」なのでしょう。
「ネタ元」
 販売数の増加だけを目指す上層部に嫌気がさした新聞記者・真知子に,思わぬ誘いが…
 疲労困憊しているとき,弱気になっているとき,周囲の人間の言動に,過敏なまでに反応してしまうことは,誰にでもあることなのでしょう。自分が正当に評価されていないという思い,軽く扱われているという考えに苛まれることは,けっして他人事ではありません。そんな主人公の揺れ動く心を丹念にすくいあげながらも,彼女に対するカウンタ・パンチのような,ひとりの女性の隠された思いを対置させることで,主人公を特権化させていないところは,じつに心憎い筋運びですね。
「密室の人」
 こともあろうに公判中に居眠りし,妻の名を寝言で呟いてしまった裁判官・安斎は…
 法律というのは,多かれ少なかれ形式主義です。もちろんそれには批判もあるでしょ うが,一方で,法令を読む人間によって解釈がまちまちであったら,それはそれで混 乱しますし,法律としての体をなさないでしょう。とくに「判例主義」(前例主義) と言われる日本の裁判においては,より形式主義的な色合いが強いでしょう。ですか ら,「裁判」と「茶の湯」という,一見ミスマッチながら,そこに共通性を見いだし た作者の着眼点は見事ですね。しかし主人公は,「茶の湯」という「形式」の向こう 側あるいは奥底にある「心」を見いだすことはできませんでした。そこに現代の日本 の裁判(官)の形式主義に対する批判的視点を読みとるのは穿ちすぎでしょうか?

02/11/16読了

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