クラフト・エヴィング商會『どこかにいってしまったものたち』筑摩書房 1997年

 「しかし,現物が不在であるがゆえに,これらの「不思議」は決して葬られることがありません」(本書より)

 わたしたちクラフト・エヴィング商會は,明治・大正・昭和・平成と,ありとあらゆる「不思議なもの」を商ってまいりました。そんな当商會の引き出しには,先代の文字で「クラフト・エヴィング商會不在目録」と記された書類が一式残っております。それは,当商會が取り扱った「不思議なもの」のうち,さまざまな理由で失われてしまったものたち,「どこかにいってしまったものたち」の目録でございます。ここにその一部をご紹介いたしましょう・・・

 「クラフト・エヴィング商會」なる「不思議のよろず雑貨屋」が取り扱ったという,さまざまな「もの」を紹介した本です。しかし,わたしたちの手元には,その「現物」はすでにありません。それにともなう,さまざまな断片が残されているだけです。たとえば「迷走思考修復器」のデモンストレーションを伝える号外,たとえば暗闇を作り出す「アストロ燈」の紙箱と「アストロ読本」なる小冊子,たとえば今はもうないものと再会できる「時間幻燈機」の説明書,たとえば水蜜桃の食べ頃を告げる「水蜜桃調査猿」の解説書などなど・・・
 その断片から,わたしたちは,先人たちが,そのユニークな発想と,恐れを知らぬ行動力,そしてなによりも不可解とも言える情熱でもって作り上げた,多彩な「不思議」の一端に触れることができます。あるいはまた,そんな「もの」たちとともに失われてしまった,「どこかにいってしまった」暖かくもせつない心の襞に触れることができましょう。本の帯で三谷幸喜は,「万物結晶器」で作られた「涙の結晶」のことを,祖父の思い出とともに懐かしく語っています。
 たとえ「現物」が失われてしまったとしても,その存在を伝える断片が残されている限り,わたしたちは,その「もの」にまつわる色とりどりの思い出を失うことはないのでしょう。本書は,いつのまにか,「どこかにいってしまったものたち」のかすかな足跡をたどることで,逆に,それらがわたしたちの心の中に「残していったもの」を鮮やかに蘇らせてくれるのかもしれません。

 ・・・・などと書いてしまうと,まるで「本当」のことのように思われるかもしれませんが(思うか?),じつは本書はすべてフィクションです。
 小説が「言葉」でもって,虚構を,嘘を,この世ならざるものを構築する営為とするならば,本書の作者たちは,「もの」でもって,フィクションを作り出そうとしています。あらかじめ「不在」のものを,「どこかにいってしまったもの」とすることで,それらがかつて「存在」していたというフィクションを作り上げようとしています。
 作者たちは,丁寧な手作業で,あらかじめ「不在」のものの断片を作り出しています。その仕上がりの見事さから,彼らの情熱の深さが推し量れます。とくに「水蜜桃調査猿」の解説書の「復刻版」は,その精緻さに驚かされるとともに,生真面目さを装ったユーモアが全編から滲み出ていて,なんとも楽しいものになっています。この作者たちのこだわりこそが,フィクショナルな「どこかにいってしまったものたち」を「作った」先人たちの情熱に通じるものと言えるのかもしれません(それにしても,古い活字体のページを作るために,昔の本から活字を切り貼りしたというのは,なんとも感服してしまいます)。
 タイトルは失念してしまいましたが,リアルな写真や学術的な観察記録をでっち上げて作った,空想上の「動物図鑑」を読んだことがあります。本書も似たような趣向ではありますが,「もの」を取り上げることで,生物特有の生々しさ,グロテスクさを巧みに避け,そのかわり,(上に書いたような)ほのぼのとした「幻想のノスタルジィ」を醸し出すことに成功しています。

 小説を,つまりは「言葉」によるフィクションをこよなく愛する方々ならば,遊び心に横溢した,「もの」によるフィクションである本書を必ずや気に入られるのではないかと思います。

00/02/18読了

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