パーネル・ホール『探偵になりたい』ハヤカワ文庫 1989年
「わたしはマイク・ハマーではないし,マイク・ハマーのようになりたいとも思わない」(本書より)
“わたし”スタンリー・ヘイスティングズは,作家志望の事故専門調査員。ところが,そんな“わたし”を,タフな私立探偵と勘違いして迷い込んできた依頼人を断った翌朝,その依頼人が殺害された。背後には大がかりな麻薬の密売組織が絡んでいるらしい。どうにも寝覚めの悪い“わたし”は,探偵のまねごとをはじめるが・・・
もう20年ほど前になるのでしょうか,ビル・プロンジーニの「名無しのオプ・シリーズ」や,ロバート・B・パーカーの「スペンサー・シリーズ」といった,「ネオ・ハードボイルド」と呼ばれるスタイルの作品が,日本でも多数翻訳されるようになりました。クールでタフ,みずからの信念を貫くためには,いかなる脅迫や誘惑に屈しない「汚れた街の騎士」としてのハードボイルド・ミステリの主人公たち―マイク・ハマーやサミュエル・スペード,フィリップ・マーロウ,リュウ・アーチャーなどなど―に対するアンチ・テーゼとして,人間的な弱さや矛盾を内包した私立探偵を主人公とした作品群です。しかし,彼らにとって,ハードボイルド・ミステリの主人公たちの影は,あまりに強大であり,それらの作品には,「そんなハードボイルド探偵に憧れながらも,それになれない自分」という,やや屈折した哀愁漂う雰囲気を色濃く出ていたように思います。ですから「ネオ・ハードボイルドは,ハードボイルドか否か」なんて論争もあったように記憶しています。
さて本編の主人公“わたし”ことスタンリー・ヘイスティングは,事故専門の調査員であるうえに,それは作家になるための,いわば「腰掛け」的な色彩の強いものであります。ですから,私立探偵としての自負やプライド,プロとしてのテクニックやコネクションとはほど遠いキャラクタです。しかしそれでいながらも,ほんの少し関わったばかりの「依頼人」のために捜査を始めます。それはけっして派手なものでも,かっこいいものでもありません。また何度もドジを繰り返し,しないでもいい苦労を積み重ねます。
ですから彼は,自分が「本物の探偵」でないことに苛立っています。敵地に颯爽と乗り込み,悪漢たちをなぎ倒し,鮮やかに事件を解決する「探偵」でないことに,腹を立てています。作中に挿入される彼の苦い思い出―さんざん苦労して「悪人」に裁判所の召喚状を手渡したら,じつは相手は無実だった,という記憶は,彼の「探偵」としての無能さを象徴しています。
しかし,彼なりに事件を解決したスタンリーは,最終的にこう結論づけます。
「わたしは自分が本物の探偵でないことに腹をたてていたが,いまにして思うと,本物の探偵と思っていたものは,本物でもなんでもなかった。テレビの探偵や,映画の探偵や,ペーパーバックのヒーローは,この世に存在すらしないのだ。自分を見誤らせ,自分を無能に思わせてきたのは,幻の探偵像でしかなかった。嘘っぱちでしかなかった」
かつてハードボイルド・ミステリの探偵たちは,それまでのシャーロック・ホームズのような,現実離れした名探偵に対するアンチ・テーゼとして創出されました。しかしそんな私立探偵たちもまた,時代の流れ,社会の変化の中では,いまや「現実離れ」しているのかもしれません。ハードボイルド探偵たちの「矜持」と「信念」は,価値観の多様化した現代では,単なる融通のきかない,頑固な偏見として目に映ってしまうのかもしれません。
ある「アンチ」が,別の「アンチ」によって批判され,否定される・・・それもまたひとつの宿命なのでしょう。
・・・・などと大げさなことを書いてしまいましたが,スピーディなストーリィ展開でサクサクと読める作品です。とくにユーモアあふれる文体が,この作品の魅力のひとつでしょう。
02/06/30読了