沙藤一樹『D-ブリッジ・テープ』角川ホラー文庫 1998年

 ゴミの山に埋もれた横浜ベイブリッジ,俗に言う“D-ブリッジ”。そこで発見された少年の死体と一本のカセット・テープ。いま,テープは語り始める。「あんた・・・俺の声を聞いている,あんた・・・言いたいことが,ある。たくさん・・・・あるんだ」

 第4回日本ホラー小説大賞短編賞受賞作です。
 人間たちが犇めき合う大都会には,ときとして,人がめったに寄りつくことのない「場」があるのかもしれません。人が笑い,嘆き,怒り,暮らしている生活の,ほんの隣に,そんな「場」がぽっかりとあるのかもしれません。それは計画されたものかもしれませんし,偶然の作用によるものかもしれません。あるいは,人を寄せつけない「なにか」を有しているのかもしれません。人が根元的に避け,忌み嫌い,近寄ることをためらわせる「なにか」を・・・。

 本作品の舞台「D-ブリッジ」はそんな場所です。誰もがゴミを捨てに来るのに,誰も寄りつかないゴミ捨て場。父親からゴミのように捨てられた少年は,ゴミの中に住んでいます。ほぼ全編,テープから語られるその少年のモノローグから構成されています。
 少年は語ります。すべての人間に見捨てられ,凄絶な生き方をせざるを得なかったみずからの人生を,つたない言葉で語ります。虫を捕らえ「虫団子」として食べた話を,自動車に引きちぎられた右脚が腐り始め,それを車のドアに挟んで断ち切った話を,近づいてきた可愛い子猫を殺し,毛皮ごと食らった話を,そして同じように捨てられた盲目の少女「エリハ」のために自分の腕を切り落とし,食べさせる話を・・・。
 それが人里離れた密林の中での生活ではなく,大都会のすぐそばで行われたがゆえに,そこで語られる内容は,より一層不気味な色に彩られます。

 しかし本作品の不気味さは,そういった語られる内容にあるだけでなく,そのモノローグを聞く人々を設定したことにあるように思います。テープを前にして,なんの感慨もなく,共感もなく,同情もなく,ただただテープを聴く10人の男女。そこには嘲りさえも含まれているかもしれません。自分たちで「ゴミ捨て場」を作りだし,それが生じさせた悲劇に関心を寄せることなく,「不必要」のもとに切り捨てる「大人たち」の姿があります。少年のモノローグに対して,
「分かっているなら,いい加減にすればいいだろうに」
と,ブランデーを飲みながら呟く「無関心」と「冷酷さ」こそが,この作品で描かれている真の不気味さなのでしょう。
 そういった意味で,この物語は,現実の世界のひとつの比喩なのかもしれません。また少年の独白を,現実の少年少女たちの叫びとしてとらえることもできるかもしれません。いまの世の中は,結局「ゴミ捨て場」でしかないのでしょうか?
 公立高校の校内暴力が3校に1校というニュースを見ながら,そんなことを思いました。

98/12/20読了

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