とり・みき『とり・みきの大雑貨事典』双葉文庫 1997年

 『とりの眼ひとの眼』に続く,マンガ家とり・みきの2冊目の「字の本」です。タイトルのように,作者がさまざまな「モノ」について,自分の思い出やら考えやらを書きつづったエッセイ集です。取り上げられる「モノ」は,本あり,アダルト・ビデオあり,レコードあり,場所あり,わけのわからないものあり,とじつに多彩です。
 そしてそれらは,かつて『a Heebie-Jeebie』でやったように,五十音順に並んでいます。「五十音順」というのは,たしかに検索するときは都合のいい配置ではありますが,隣に並んでいる単語同士は,内容的に連関は一切ありません。物事をその内容によってではなく,「音」に還元して分類して,並べるということは,作者が本書の中で言っているように,たしかに「暴力的」なことなのでしょう。しかし,普段わたしたちが認識している分類原理と異なる原理で分類,配列された「形」というのは,ときとして新鮮な印象を与え,ものごとの在りようというのは,けっして一様ではないのだということを教えてくれるように思います。

 さて,本書を読んで一番興味深かったことは,とり・みきや唐沢なをきといったマンガ家さんたちが「理数系ギャグ」と呼ばれていることです。森博嗣が「理系ミステリ」と呼ばれていることは知っていましたが,「理数系ギャグ」とは,いったい何なんでしょう? 作者の言によれば,要するに,「表現する内容」ではなく,「表現のテクニック」のみによって描かれたギャグ・マンガを指すようです。
「つまりあえて思想的なもの,私小説的なものを排除していくと,それは必然として理数学的なものにならざるをえず,結果『話がなにもない』『なにをいいたいのかわからない』『軟弱だ』『表層的だ』『目的のない手法の上だけでの遊び』などといわれるはめになる。そんなわけで私はなかば自虐的に『理数系ギャグ』ということを使っているのだ」
 そして「自虐的」といいつつも,次のように続けます。
「だが,あえて言おう。我々はその『なにもない』ギャグ漫画こそが描きたいのだ」
 たしかにこの作者の作品(唐沢なをきの作品もまた),きわめて技巧的,人工的で,そのテクニックのみで作品を創り上げているようなところがあります。『遠くへ行きたい』の感想文の中で,わたしはそれをこの作者の「限りなくナンセンスへと向かう側面(“物語”の解体)」と呼びました。このような描き方に「理数系」という言葉を冠することの是非はともかく,このふたりの作品を読むたびにわたしがぼんやりと感じていたことを,じつに的確に解説してくれているように思います。マンガ家の自作解説でも「本当に言いたかったのはこういう事だったんだよ」的なものはあまり好きでないのですが,この作者のように筋道だった形で「解説」してくれるのは,読んでいて好感が持てました。

 それにしてもこの作者,やっぱりマニアだなぁ(笑)。

98/04/25読了

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