清水義範『大探検記 遥か幻のモンデルカ』集英社文庫 1997年

 「探検」「秘境」という言葉には,やはり胸の奥底をふるふると揺するような響きがあります。未知の大陸,未知の民族,未知の古代遺跡,未知の動物・・・。そんな秘境探検物語のパスティーシュ3編をおさめた短編集です。

「悠久のアクアチアジャンパン」
 アイテナ人民共和国の奥地にあるという,幻の古代帝国アクアチアジャンパンの遺跡。日本との合同調査団は,砂漠を越え,山脈を越え,遺跡を目指す…
 いうまでもなく舞台は架空の国ですが,モデルはどうやら中国のようです。出てくるむちゃくちゃな地名や本の名前が笑えます。結末は昔のコメディ映画を見るようでいただけませんが,その文体はまぎれもなくパスティーシュです。過酷な大自然,見知らぬ生活風習,探検隊を襲うトラブルや事故,そして地元の人々との心温まる交流などなどが,いかにもNHKや大手新聞の記者が書きそうな(自己陶酔的で,どこか偽善の香りもする)文章でつづられていきます。
「渾身のアドベンチャー・ロード」
 「冒険家教授」の異名をとる北見慎一は,雑誌社の依頼で草原の国・オーラングルへと旅立つ…
 「紀行文」というのは,どこまでノンフィクションで,どこまでフィクションなのでしょうか。たとえば,旅先で見つけた小さな神社。見たときは知らなかったけれど,帰ってから調べたら由緒ある神社だった。で,その調べた結果を「紀行文」の中で,神社の描写として使ったら,それはフィクション,それともノンフィクション? この作品みたいに極端なことがあるのかどうか知りませんが,紀行文って,そういった,一種の「危うさ」がありますね。
「遥か幻のモンデルカ」
 アイワテレビの高橋のもとにもたらされたひとつの情報。南米奥地のチョチョゴンガ湖に幻の恐竜モンデルカが棲んでいるという。情報提供者の佃とともに探検団は,その湖を目指す…
 もちろん架空の国,架空の湖で,架空の幻の動物を追うというパスティーシュなのですが,前2作とは異なり,せつない雰囲気のある作品です。それは佃公一郎のキャラクタに負うところが大きいでしょう。まさにモンデルカにとり憑かれた,狂信的な佃の姿は,滑稽でもあり,また哀愁さえも漂っています。「私はこの探検隊の,夢の部分の担当者なんだ」と語る佃。一方で,モンデルカを追いつつ,テレビドキュメンタリ制作という「仕事」として探検を遂行していく高橋との対照も鮮やかで,いい味を出しています。そしてラスト直前,佃が見るモンデルカ。その姿は明らかに××××××です。そのことがまたせつないです。人は見たいものを見る(ことのできる)動物なのでしょう。でも,その「夢見る力」こそが人のみが持つ特性なのかもしれません。

97/10/13読了

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