横溝正史『大迷宮』角川文庫 1979年

 避暑のため軽井沢に来ていた中学生・立花滋と,彼の従兄の大学生・謙三は,サイクリングからの帰途,豪雨にあって,とある古びた洋館に逃げ込む。それをきっかけとして,ふたりは奇怪な事件の渦中に巻き込まれていく。“人食い寝台”,一夜にして消えた洋館の豪華な装飾品,そして殺人事件と謎の鍵。彼らは名探偵・金田一耕助の助力を得て,事件の解明へと奔走する…

 邦画版『リング』のクライマクス,貞子の幽霊が登場するシーンは,日本のホラー映画の中でも屈指の場面ではないかと思っています。しかし,もしそのシーンに,古典的な幽霊登場のBGM「ひゅ〜どろどろどろ〜」が流れたとしたら,観客席からは失笑が漏れることでしょう。この効果音は,落語や講談といった伝統芸能をのぞくと,今ではパロディかギャグの中でしか耳にすることはありません。
 けれども,子どもの頃,夏休みになると,必ずと言っていいほどテレビで放映されていたモノクロの怪談映画−「四谷怪談」「鍋島化け猫騒動」に材をとった古典的な怪談映画では,この効果音の持つ(文字通り)効果は抜群で,子ども心に「あ,出るぞ,出るぞ」という不安と期待の入り交じった感覚を高ぶらせてくれました。そして今でも,ヴィデオなどでそういった作品を見るたびに,「お約束」とはわかっていても,やっぱり「あ,出るぞ,出るぞ」という気持ちが,ノスタルジィとともに湧き起こってくるのを止めることはできません(止める気もありませんし)。

 さて何でこんなことをうだうだと書いてきたかというと,ある程度の歳をくってからジュヴナイル・ミステリを読んで楽しむ「コツ」というのは,まさに「ひゅ〜どろどろどろ〜」に「さぁ,来るぞ,来るぞ」という感興をもよおすのと同じことなのではないかと思うからです。そういった意味で本編は,かつて楽しんだジュヴナイル・ミステリのおもしろさを追体験できる作品といえましょう。
 物語は,最初からけれん味たっぷりのスタートを切ります。冒頭1/3くらいまでのところを箇条書きにしてみれば,
・列車の中で滋が目撃した曰くありげな男と少年。
・その少年は,先日サーカス団から逃げ出した花形スターそっくり。
・稲妻の光の中に浮かび上がる不気味な洋館。
・洋館の少年当主剣太郎もまた,サーカス団の少年に酷似。
・夜中に屋敷の中を徘徊するゴリラ。
・剣太郎が眠るベッドの天井が降りてきて,彼を殺そうとする。
・何者かに眠り薬で眠らされた滋と謙三が目を覚ますと,洋館は空き家のごとくもぬけの殻。
・洋館の地下で発見される地下迷路。
・その迷路に出現する怪奇ドクロ男。
・産業博覧会・余興館で起こる活劇。
・気球に乗って飛び去るドクロ男と,もうひとりの剣太郎そっくりの少年。
 と,まぁ,こんな具合に,次から次へとミステリ的シチュエーションが目白押し,じつにスピーディにストーリィが展開していくところは,まさにジュヴナイル・ミステリの真骨頂です。とくに「稲妻の光の中に浮かび上がる洋館」といった「お約束」的なシーンは,もうゾクゾクしちゃいます(笑)
 そしてこういったシチュエーションに加えて楽しめるのが,なんといっても,その大時代的な文体にあります。たとえば「なんともいえぬおそろしさで,背すじがつめたくなるような感じであった」とか,「ああ,それにしても,かれらのゆくては,雨か嵐か…」などなど,古典的な「煽りフレーズ」が随所随所に挿入されています。その「講談調」とも言える大仰な言い回しが,上に書いたようなスピーディな展開と,そしてさまざまなミステリ的なガジェット−「百万円の金塊」「地下迷路」「海上でのバトル」「暗号文」など−とじつによくマッチしており,冒険活劇を見るようなワクワク・ドキドキ感を誘います。

 いい加減,馬齢を重ね,ミステリに悪馴れてしてしまったおじさんとしては,往年のジュヴナイル・ミステリを読み返すと,はじめてミステリに触れた頃の「純真さ(笑)」がよみがえるような気持ちになります。そういった「忘れかけていたワクワク・ドキドキ感」を取り戻すという効用もあるようです。

02/12/15読了

go back to "Novel's Room"