柴田よしき『月神(ダイアナ)の浅き夢』角川文庫 2000年

 愛する子どもと夫を得て,幸せな家庭を持った村上緑子は,刑事を辞める決意をする。しかし彼女は,おりから発生した刑事連続惨殺事件の捜査員に編入される。警視庁の刑事である以外,共通点のないと思われていた被害者だったが,緑子の捜査で意外な関係が浮かび上がる。暗く深い森の中へと足を踏み入れた彼女が見出したものとは・・・

 「女はいいよな,仕事がイヤになったら,結婚しちゃえばいいんだから。その点,男は辛いよ。生活するために,どんなにイヤでも,仕事を辞めるわけにもいかないものな」

 ・・・・というようなセリフは,今でこそ,表だって発言されることは少なくなったとはいえ,それでもやはり,どこか伏流のように綿々と流れている意識を表現しているように思います。ただここでは,このセリフが持つ性差別的な意味合いについては,とりあえず置いておいて,このセリフを手がかりとして,別の方向に話を進めてみたいと思います。

 それは「仕事とはなにか」ということです。

 上のセリフでは,「生活のため」に仕事することが前提となっています。男性は生活のためにイヤでも仕事をしなければならない,ということになっています。ですから仕事しか選択肢のない男性は,「なぜ仕事をするのか」という問いに対して,最終的に「生活のため」という答を用意できています。もちろん,仕事をするのはそれだけの意味ではない場合も数多くありますが,いわば「切り札」として,そんな理由を言うことができます。
 それに対して,上のセリフにおいては,「女性は無理に仕事をしなくてもいい」ということが含意されています。なぜなら「結婚」という,仕事以外の生活手段が残されているからです。しかし逆に言えば,「生活のため」という「逃げ道」が用意されていない女性は,「なぜ仕事をするのか?」という問いに対して,より根元的な形で答えなければならない,あるいは答えうる立場にいるとも言えましょう(もちろん生活のために仕事をしている女性がいないということを意味しているわけではありません,念のため)。

 本編の主人公村上緑子は,息子達彦を産み,またかつての不倫の相手安藤明彦と結婚することになり,仕事=刑事を辞めようと考えます。「達彦を育てるため」に仕事をしていた緑子は,明彦との結婚により,「生活のための仕事」を続ける理由を失います。明彦にはそれだけの経済力があります。そして「最後の仕事」として,「刑事連続惨殺事件」の捜査員となります。彼女は精神的にも肉体的にも満身創痍になりながらも,真犯人を追いつめます。その過程で,彼女は,「人が人を裁くシステム」である警察組織,司法制度が抱え込む矛盾,危険性に直面します。さらにそれは,愛する安藤の辛い過去を暴き,傷つけるという形をとらざるをえなくなります。
 そんな二重三重の苦しみの中で,緑子は「なぜ自分が刑事を続けるのか」という疑問を自分自身に問わざるをえなくなります。明彦がいる以上,「達彦のため(生活のため)」という理由は,すでにその存立基盤を失っています。また仕事を続けることは,自分だけでなく,達彦に対する現実的な脅威を生み出しかねません。
 にもかかわらず,なぜ緑子は仕事=刑事をつづけるのか?
 ラストにおいて,緑子は,傷だらけになりながらも,因縁ある人物の意外な過去を知ることで,「刑事であり続ける意味」を見いだします。その「意味」が緑子をどこに導くのか,それは本作品では描かれていません。ですが,このような仕事をめぐる「根元的な問い」と,それに対する「根元的な答」を描き出すためには,現代の状況―冒頭に挙げたセリフに象徴されるような状況―において,男性よりも女性の方がより適切なのかもしれません。

00/07/16読了

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