篠田節子『第4の神話』角川文庫 2002年

 「高潔な人間よりは,優能なライターになりたいんです」(本書 小山田万智子のセリフ)

 「私の作品は5年すれば忘れられる」…音大出で美貌の人妻の人気作家・夏木柚香は,編集者にそう言い残して他界した。その4年後,彼女の評伝を書くよう依頼されたフリーライター小山田万智子は,取材を続けるうちに,巷間に流れる「夏木柚香神話」とは異なる彼女の姿を見出す。数々の「神話」に彩られた夏木柚香の生涯の実相とは…

 書店に行くと,今でも「女流作家コーナー」という棚を見かけることは珍しくありません。しかし間違っても「男流作家コーナー」が作られることはありません。このことはフェミニストからの批判は当然ありますが(『男流文学論』(上野千鶴子ほか)という皮肉なタイトルの本もあるくらいですから),「女性」であることが,作家としての「売り」になっているという現状があることは否定しようがありません。

 さて本編は,ひとりの作家,すでに4年前に死去している夏木柚香をめぐる物語です。彼女はバブル時代が求めた華やかできらびやかなイメージ=「第1の神話」を振りまくことで人気を博した作家です。主人公小山田万智子は,柚香の元担当編集者藤堂喜代子からの依頼で,彼女の評伝を書くこととなりますが,そこには藤堂によるイメージ操作,つまり前述のような「神話」に加えて,「賢母」としての「第2の神話」を産み出すような操作を求められます。
 これら「第1の神話」とは,「音大出」「美貌」「人妻」といった,夏木柚香の「女性」として部分を強調することによって作られた「神話」であり,さらに「第2の神話」とは,「女性」の一部である(とされる)「母性」の強調です。つまり「第1・2の神話」は,上に書いたような「女流作家コーナー」と同じ脈絡のものであり,そのカリカチュアとも言えなくもありません。
 しかし万智子は,そんな「美談」であふれた柚香の人生・生活の中に,彼女の異なる「顔」を見出します。膨大な借金,平和で理想的と見えた家庭に隠された夫婦・親子の確執,そして柚香の心の奥底に潜む冷酷さ…それらを「第3の神話」と万智子は呼び,それこそ「夏木柚香」の「真の姿」と考えます。

 けれども,この「第3の神話」もまた,「第1・2の神話」の陰画でしかありません。「女性」や「母性」のネガティヴな側面を照射しているに過ぎません。あるいはまた「神話」の「暴露」にとどまり,いわば「同じ土俵」に乗っているとも言えましょう。
 それゆえに物語は,「第4の神話」へと展開していきます。それは氾濫し拡散する「イメージ=神話」から唯一取り残されたもの,それでいて本来ならば,まず最初に探索されねばならないもの,つまり夏木柚香の「作品」です。
 万智子がそこに至るまでに,ひとつの伏線が引かれているように思います。それは前半,万智子が依頼された作家大島遥とのインタビュウです。このエピソードは,インタビュウ内容が見るも無惨に改変され,大島から「あなたの品性を疑う」と罵倒されるという,万智子のフリーライターとしての非力さ,不安定さを象徴するものではありますが,それと同時に,作品以外に関するプライヴェイトな情報をいっさい遮断しているという設定の大島遥を登場させることで,「女流作家」をめぐるふたつのスタンス−作品のみを評価の対象とするという大島と,たとえ作られたものとはいえプライヴェイトをも「作家」の一部とする夏木−をも表しているのでしょう。そして作者は,万智子に大島にシンパシィを感じさせることで,みずからのスタンスを示していると言えましょう。
 こういった迂回路を経て,夏木柚香は,「女流」というレッテルから解放され,ひとりの「作家」としての評価−「第4の神話」−を与えられることになります。

 そしてこの「迂回路」はまた,主人公自身のノンフィクション作家へと至る道程でもあります。万智子は,38歳の独身,無名のフリーライター,夏木柚香とは対極に位置づけられています。ですから(もし誤解を恐れずに言えば)「第1・2の神話」に対する「第3の神話」とは,まさに夏木柚香と小山田万智子の立場そのものと言えるのではないでしょうか。それゆえに「第3の神話」にとどまる万智子は,一見,夏木柚香を否定しているようでいて,その実,「第3の神話」と同様,夏木柚香の「陰画」でしかないのでしょう。
 つまり彼女が,夏木柚香の「陰画」ではない,みずからもまたノンフィクション「作家」として自立するためには,「第4の神話」にたどり着くことが必要だったのかもしれません。

03/01/12読了

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