矢崎存美『ぶたぶた』徳間デュアル文庫 2001年

 「パパの職場には,とてもいい友だちがいるんだよ」(本書「最高の贈りもの」より)

 あるときは有能なベビー・シッター,あるときはタクシーの運転手,あるときはフランス料理の名シェフ,はたまたあるときは“殺し屋”ならぬ“殺られ屋”・・・しかしてその実態は,本名“山崎ぶたぶた”・・・バレーボールくらいの大きさのピンクのブタのぬいぐるみである・・・

 ちょっと回りくどい話をします。
 とりあえず「祭」を「異界・非日常との接触による日常生活の再確認・活性化」と定義しておきましょう。そして,おそらく「祭」というのは,人類の歴史と同じくらい長さを持っているのではないかと思います。人間あるいは人間社会そのものが,「異界・非日常との接触」を必要としているのでしょう。そうしないと人間は「日常の繰り返し」の重荷に耐えかね,自壊してしまうのではないでしょうか? 定期的な,異界・異人のエネルギー・パワーを補給することで,日常生活を維持していると言えるかもしれせん。それが「祭」の効能でしょう。
 しかし,「祭」を担っていた伝統的な村落共同体が崩壊した現代,「祭」はきわめて個人的な営為に転換しています。それはコンサートに行ったり,スポーツをしたり,映画を見たり,ゲームをやったりすることです。そしてフィクションを読むという行為も,そのひとつでしょう。それら,今では「娯楽」と呼ばれているものに触れたり,参加することで,日常生活から一時的に脱却し,異界・非日常と接触し,ふたたび日常を続けるためのエネルギーを補給しているわけです。そしてまた,それら異界・非日常に接することで,日常生活の中で忘却され,見失われた心の「動き」を活性化することでもあります。もしかするとそれは,悪意や狂気,憎悪といったダークな側面に属するものもありましょうが,同時にやさしさであったり,思いやり,愛情などのポジティブなものの場合もあります。
 さて本編では,さまざまな人々の前にぶたぶたが現れます。ピンクのブタのぬいぐるみである「彼」は,しゃべり,食事し,働いています。各編の主人公たちにとって,ぶたぶたの登場はショッキングなことです。いわば「異界」が,突然なんの前触れもなく,するりと日常にまぎれこんでくるからです。しかし主人公たちは,ぶたぶたと出会うことで再生していきます。たとえば「最高の贈りもの」では,少女の両親に対するわだかまりから解放されますし,「しらふの客」では,仕事に追われて家族との会話のない男が,タクシー運転手であるぶたぶたを助けようと(?)四苦八苦することを通じて,自分自身を再発見していきます。また,ぶたぶたがぬいぐるみであるという設定を上手に生かした「殺られ屋」は,自分のうちに潜む凶暴性を直視することで現実に立ち向かう主人公の姿が描かれます。あるいはまた,「追う者,追われるもの」で,ぶたぶたを尾行することを依頼された私立探偵は,その奇妙さに戸惑いながら(その描写が秀逸),仕事が終わったあと,「明日からとてもつまらない」と溜め息をつきます。それは「祭の終わり」のときに感じる寂しさに通じるものと言えるでしょう。
 つまり主人公たちは,ぶたぶたという「異人・非日常」と接することで(=「祭」を通過することで),日常生活の中で忘れていたものを改めて見出し,日常を送るエネルギーを得ているわけです。そして,そんな彼らの姿を読むこと,つまり上にも書いたような「祭」の代替行為としてフィクションを読むことによって,わたしたちもまた,エネルギーを,パワーを得ているのでしょう。
 本書,というか,ファンタジィを読むというのは,そんな二重の「祭」を体験することなのかもしれません。

 なんだか怪しげなことを書いてきましたが(笑),ともかくもピンクのブタのぬいぐるみが「生きている」という奇想天外なシチュエーションを,ユーモアたっぷりの軽快な文体で描き出し,ラスト・エピソード「桜色を探しに・・・」で鮮やかなエンディングを見せるストーリィ・テリングの妙技を楽しめる作品です。

01/05/11読了

go back to "Novel's Room"