上遠野浩平『ブギーポップは笑わない』電撃文庫 1998年

 県立深陽学園―進学校でもなく,不良校でもない,どこにでもある平凡な高校。そこでは家出する生徒が続出していた。だが,あまりに平和な日々の生活の中で,彼らに注意を向ける教師も,生徒もほとんどいない。だが,その背後には恐ろしい陰謀が進められていた。世界が危機を迎えるとき,“ブギーポップ”はその姿を現す・・・

 本書の名前は,ネット上でたびたび見かけ,気にはなっていたのですが,目にすることがありませんでした。ところが先日,とある書店で,ずらりと平積み。どうやら,2000年に,テレビアニメ化&実写映画化ということで,重版されたようです。シリーズ化されているようですが,とりあえず最初の作品を,ということで購入しました。ちなみに「電撃文庫」を買うのは,今回がはじめてです。

 さてストーリィは,というと,平和な学園に紛れ込んだ恐るべきモンスタが,ひとり,またひとりと生徒を犠牲にしていき,そして,それを阻止するために現れた“ブギーポップ”と闘いを繰り広げる,といった,ありがちといえば,ありがちなものです。“人類”を裏切って,モンスタに荷担するキャラクタの設定なども,お約束と言えましょう。
 しかし,本作品は,そのありがちな内容を,「多視点」的に描写し,ストーリィを展開させていくところに特徴があるのでしょう。登場人物のひとり新刻(にいとき)敬は冒頭で語ります。
「起こったこと自体は,きっと簡単な物語なのだろう・・・でも,私たち一人ひとりの立場からその全貌が見えることはない。物語の登場人物は,自分の外側を知ることはできないのだ」
と。物語は,主として「事件」に直接間接的に関わった人々の「語り」によって進められます。それは事件全体を見通した「神の目」ではなく,それぞれの視点,立場から語られます。つまり物語は,「事件」の周囲を螺旋状にめぐりながら,しだいしだいに「核心」へと近づいていくという構成になっています。それゆえ,読者の側も,見えそうでなかなか見えてこない核心にジリジリしながら読み進めざるをえません。サスペンスを盛り上げるという点で,効果的な構成と言えましょう。こういったスタイルの作品は,わたしは好きです。
 このような「多視点」的なストーリィ展開は,もうひとつの効果があります。それは,事件をさまざまな視点から一人称によって語ることによって,事件に対する,あるいは舞台となる「高校生活」そのものに対する「思い」が浮かび上がる点にあります。たとえば「第1話 浪漫の騎士」に登場する竹田啓司は,事件そのものには関係することはありませんが,“ブギーポップ”のキャラクタが浮き彫りにされるとともに,周りが進学するのに対し,ひとり就職する彼の孤独感が語られます。同様に,「第2話 炎の魔女,帰る」での末真和子や,「第4話 君と星空に」での木村明雄など,事件に関係した人々と関わることでストーリィを進めていく役割を果たすとともに,彼らの「高校生活」「高校時代」に対する思いが語られていきます。ときに屈折した,ときに醒めた,ときに直截な彼らの「思い」―それはわたしたちが大なり小なり抱え込んでいるものなのでしょう―を,巧みにストーリィに取り入れることで,この作品は,いわゆる「学園アクションもの」とはひと味違うテイストを盛り込むに成功しているようです。
 ただ不満も残ります。というのは,クライマックスに近い場面で,一人称と三人称とが混在している点です。ストーリィをスピーディに展開させるためなのかもしれませんが,先にも書きましたように,個人的にはこういったスタイルの作品は好きなので,好きであるがゆえに,徹底してほしかったな,と思いました。

 ところで「上遠野」って,「かどの」と読むんですね。言われてみれば,そうとも読めるな,と思いますが,言われないととても読めません(笑)。

99/12/23読了

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