歌野晶午『ブードゥー・チャイルド』角川文庫 2001年

 “僕”の前世はチャーリー。バロン・サムデイという悪魔に殺された黒人の幼児だった。そんな「記憶」を持つ“僕”の義母が何者かに惨殺され,その傍らには「悪魔の紋章」を描いた紙片が残されていた。チャーリーが殺されたとき,バロン・サムデイが残していったものと同じ紋章・・・前世と現世とを超えたふたつの殺人は,いったいなにを意味するのか・・・

 ミステリにおいて,怪奇趣味,オカルト趣味にあふれた作品は数々あります。最初に,この世のものとは思えぬような奇怪至極なシチュエーションを提示して,それを論理的に解いていく・・・そのシチュエーションが異様であればあるほど,その論理的解決とのギャップ,アクロバティックな結びつきが,謎が解かれたときのカタルシスを盛り上げるわけです。本格ミステリの常套手段のひとつと言ってもいいでしょう。

 この作品では,冒頭から,そんな怪奇趣味・オカルト趣味が全開です。主人公の“僕”が記憶している「前世の記憶」・・・チャーリーという黒人の少年で,バロン・サムデイという悪魔によって殺されるという「記憶」,さらに義母殺害現場に残された「悪魔の紋章」,彼女の死体の顔に載せられた塩の山,インターネット上で検索した結果出てきたブードゥー教との近似性などなど・・・オカルト的謎が,もう「これでもか」というくらいに提出され,「これがいったいどのようにして着地するのだろう?」と思わせるところは,この作品の最大の魅力となっています。そう,謎が不可解であればあるほど,本格ミステリのオープニングとしては魅力的なのです。
 しかしその反面,途中途中で,「あ,これはあれのことかな?」とか「これはこういう意味だろうな」とわかる「謎」はいくつかあります。ただそれがなかなか「全体像」を構築しない。そういったもどかしさ,隔靴掻痒ともいえる感覚は,ストーリィを引っ張っていく上で,けっこう強い牽引力になるのではないかと思います。少なくとも個人的には,そんな「撒き餌」のようなところがある作品の方が,読みやすいですね。
 そして「最後の一本の藁」が乗せられることで,謎の全体像が一気に浮上してくる,バラバラだったピースが新たな「絵」を構成し始める,そこにこそ上記のカタルシスをもたらす本格ミステリの真骨頂があるわけですが,本編の場合,その点においてもいい線をいっているのではないかと思います。メインのトリックをサポートする「小技」−「悪魔の紋章」や「堀井キン」など−については,やや強引なところもないわけではありませんが,オカルト的謎を1枚ずつ皮を剥ぐようにして「理」に落とすプロセスとして効果的に用いられています(「悪魔の紋章」の謎は「なるほど,よくよく見れば」という強引さはありますが,けっこうお気に入りです(笑))。

 もうひとつ,この作品の長所となっているのが,主人公を15歳の少年に設定したことでしょう。かなり陰惨な事件を描いていますし,またその真相もヘヴィなものではありますが,(この年代であればありがちな)ちょっと斜に構えていて,それでいてナイーヴなところもある少年であるがゆえに,作品全体にどこか軽快感を与えているように思います。血の繋がらない姉(?)麻衣との「口げんか」のような会話も,文章にほどよいリズムを与えているように思います。

01/09/09読了

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