岩井志麻子『ぼっけえ,きょうてえ』角川ホラー文庫 2002年

 4編を収録した短編集。表題作は角川日本ホラー小説大賞受賞作品です。

「ぼっけえ,きょうてえ」
 岡山の女郎屋で,眠れぬ客にひとりの女郎がとつとつと語りかける。自分の半生と“きょうてえ”秘密を…
 怪談を評するにあたっては,もっともオーソドクスな糸口として「語り口」と「語る内容」,あるいは両者の関係という点が挙げられます。そして言うまでもなく,本編の最大の特色は,岡山弁による「語り口」にあります。朴訥な女言葉で語られるそれは,怪談らしからぬ柔らかさがあります。「すごく怖い」という岡山弁のタイトルからして,その意味さえ知らねば,響きそのものはユーモラスです。しかし無論,「音」の柔らかさは,「語る内容」をも保証するものではありません。むしろ両者の(意図的な)ギャップこそが,ホラー作品において,恐怖感を高める有力な手法であります。間引きの悲惨さ,女郎になることが「より人間らしい生活」だというどん底の生活,生者と死者とが同一地平で扱われる不可解さ,インセスト・セックス,女であることの不幸,「優しい狂気」が引き起こす殺人などなど…語り口がとつとつとして淡々としているがゆえにこそ,それら幾重にも折り重なるようにして沈殿する闇の深さが浮かび上がります。そしてときに挿入される,厳しく鋭く刺すような箴言にも似た言葉には,語り手の絶望と諦念とが現れています。そしてこのような「ひとり語りの怪談」は,つねに「語り手の創作ではないか? 妄想ではないか?」という疑念がつきまとい,それをラストで「実証」することで怪異が現実であることを保証する,という手段がとられますが,本編でもそのフォーマットを,巧みなシチュエーションで活かしているように思います。
「密告函」
 コレラが蔓延する岡山の寒村。患者を隠そうとする風潮を打ち崩すため,役所には“密告函”が置かれた…
 物語の骨格そのものは,「平凡な生活を送る男が,ふとしたことから妖艶な女に惑い,生活の中にぽっかりと空いた思わぬ深淵を垣間見てしまう」という,ありがちと言えばありがちなストーリィです。日本ならば小池真理子あたりが,もっとも得意とするジャンルといえましょう。しかし,コレラ患者や避病院に対する無知と偏見,それを増幅させる閉鎖的な村の心性,「密告函」という,人間の心の奥底に眠る邪悪さ・いやらしさを引き出す手段…それら巧みな舞台設定によって,ありがちなストーリィに,一種独特の,さながら泥土中を這いずり回るような重苦しさ,鬱陶しさを付与することに成功しています。
「あまぞわい」
 岡山市から小さな漁村に嫁いできたユミだが,閉鎖的な村の中で孤立し…
 民話や伝説は,文字としての記録には残されない人々の記憶を伝えているのかもしれません。しかし人の記憶とは,都合のいいことを残し,都合の悪いことを失うという性質を持っています。それゆえに記憶は必ずしも真実とは言えません。「あまぞわい」に伝わるふたつの伝説−「男を慕って泣く女」と「男を恨んで泣く女」−の,どちらが「真実」なのかはわかりません。いや,どちらかを伝える人間の心の中に,「あまぞわい」の「真実」があるのかもしれません。「ユミの伝説」は,いったいどのように伝えられるのでしょうか? もしかすると「恨み」とも「恋情」と違う,ただ「哀しみ」としてのみ伝わるのかもしれません。
「依って件の如し」
 貧しい村の中でも,とくに貧しい兄妹・利吉とシズ。兄の出征後,シズはひとり村に取り残され…
 取り上げられている素材は,「ぼっけえ,きょうてえ」と,かなり重なりますが,こちらは第三者的な視点から描かれている点,手触りはずいぶんと違います。それでも,因習と貧しさに囚われた閉鎖的な村の体質,「現実」と「幻想」とが同一地平で交錯する視点,一見穏やかな風貌の下に隠された悪意などなど,第三者的視点ながら,描写を積み重ねることで,じんわりとそれらを浮き上がらせているところは,通じるものもありますね。ただし本編の場合,さまざまな超常的な怪異を導入しながらも,むしろラストにおいて人間の「悪意」に物語を収束させているのは,表題作とはちょうど鏡像関係にある作品になっていると思います。

02/07/20読了

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