カート・ヴォネガット『青ひげ』ハヤカワ文庫 1997年

 ラボー・カラベキアン。アルメニア人で,かつては抽象表現主義の画家。今は亡妻の大邸宅に住む孤独なコレクター。そんな“わたし”のもとに,突然やってきた若くエネルギッシュな作家サーシ・バーマン。彼女の出現は“わたし”の生活を,そして人生を大きく変えてしまった・・・。

 好きなアメリカ人作家を3人挙げよ,といわれたら,スティーヴン・キング,ロス・マクドナルド,そしてこの作者,カート・ヴォネガット(・ジュニア)の名前を挙げます。彼の作品を読むのは,『ガラパゴスの箱船』以来ですから,2年ぶりでしょうか。この作者お得意の「偽伝記物」とでもいいましようか,架空の画家ラボー・カラベキアンの「自伝」という体裁をとった作品です。もっとも,“わたし”が,その生まれから今(自伝執筆時)まで,時間の経過に沿って書き連ねて行くわけではなく(その流れも一方ではあるのですが),もうひとつ,彼に自伝執筆を指示し,彼の“今”の生活を大きく変えてしまったサーシ・バーマンとのやりとりが,その途中にはさまっています。“過去”と“現在”が交錯し,共鳴するというコラージュ風,パッチ・ワーク風の作風も,この作者の十八番でしょう。独特の警句めいたセリフも健在です。そういった意味で,この作者の“土俵の上”で書かれた作品のように思えます。そこらへん,安定した筆力は感じるのですが,その安定感が逆に,ちょっと物足りない感じがしないでもありません(貪欲なものですね,読者というのは(笑))。

 この物語には,カラベキアンの住む邸宅の敷地内にあるジャガイモ小屋に,彼がなにを隠しているのか,という謎があります。バーマンは,カラベキアンの家の中で,それこそ傍若無人なまで振る舞いますが,ジャガイモ小屋にだけは,近づくことができません。そしてバーマンがカラベキアンの家を出る前夜,彼女はついにジャガイモ小屋の中の物を見ることができます。これが物語のクライマックスになります。もちろんミステリではないので,その謎の解明が目的なわけではありませんが,書いてしまうと未読の方の楽しみが減るので書きません。ただ,おそらくこの謎は,ちょっと気取った言い方をすると「魂と肉体」という問題と関係するのかもしれません。それは「魂は肉体よりも貴い」という一般的な言い方ではなく,ろくでもない観念や思考を繰り返し,孤絶し,肥大するカラペキアンの“魂”を救うのが,彼が見捨て,軽蔑していた“肉体”であったという,逆説めいたエンディングです。それは,どこまで一般化できるのかわかりませんし,諸手を挙げて「感動!」と叫ぶほど単純なものではないと思いますが,それでもある種の「希望」を描き出しているように思えます。

 このほかこの作品では,フェミニズム的観点からの男女関係の問題(イプセンの『人形の家』批判など)や,“家族”や“帰属意識”の問題(アルメニア人,人工拡大家族など),そして(『スローターハウス5』以来の)第二次世界大戦でのさまざまな残虐行為に対する批判など,すぐれて(そしてシニカルな)社会批評的,文明批評的な内容が盛りだくさんで,ヴォネガット節が堪能できます。

97/10/08読了

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