ジェイムズ・エルロイ『ブラック・ダリア』文春文庫 1994年

 1947年1月15日,ロサンジェルスの一角で発見された白人女性の惨殺死体。彼女の名前はエリザベス・ショート,通称“ブラック・ダリア”。女優を夢見る虚言癖の娼婦。そんなどこにでもいる女の死が,さまざま人々の人生を大きく狂わせていく。そして元ボクサーの刑事“私”バッキー・ブライチャートの人生をも・・・

 「暗黒のL.A.四部作」の第1作です。ネット上はもちろん,いろいろなところで目にし耳にする作家さんですが,遅まきながらはじめて読みました。う〜む・・・すごい・・・
 主人公が元ボクサーなので,ボクシングの比喩を使ってみると,ミステリにおける「どんでん返し」は,いわば「必殺のカウンタ・パンチ」みたいなもので,読んでいる方は「やられた!」という感じの爽快感をおぼえるところに魅力があると思います(実際にカウンタ・パンチをもらったボクサーが「爽快感」を感じるかどうかは知りませんよ^^;;)。この作品は,たしかにそんな「必殺のカウンタ・パンチ」もしっかりと隠し持っているのですが,それまでに情け容赦ない「ボディ・ブロウ」が執拗なまでに繰り出されます。
 たとえば,1940年代アメリカの警察が抱え込んでいる暗部。人種差別,暴力,派閥抗争,汚職・・・“ブラック・ダリア事件”の捜査を通じて,それらが「これでもか」というくらいに描き出されていきます。とくに政治的野心を隠さない地方検事エリス・ロウ一派と,捜査主任ジャック・ティアニー一派との,手段を選ばない功名争い,足の引っ張り合いはすさまじいものがあります。主人公のバッキー・ブライチャートもまた,それに巻き込まれます,というとちょっとニュアンスが違って,彼はそれほど清廉潔白でもありませんし,正義漢でもありません。そんな争いに倦みながらも,ときに利用し,利用されます。
 さらに“ブラック・ダリア”は人々の心を狂わせていきます。主人公のパートナーで,かつて妹が行方不明になった(おそらく何者かに殺された)という過去を持つリー・ブランチャードは,事件の捜査にのめり込み,ついには失踪してしまいます。主人公もまた,さながら憑かれたように事件の解明へと没入していきます。それは「刑事の執念」とかいったきれいごとでも,なまやさしいものでもありません。“ダリア”に対する欲望にかられた,まさに“ダリア”という魔女に憑依された状態です。“ブラック・ダリア事件”を利用して,政治的野心を遂げようとするエリス・ロウや,扇情的に事件を取り上げるマスコミもまた,ある意味,リーやバッキーのすぐそばにいると言ってもいいかもしれません。
 そんな「ボディ・ブロウ」の連打の果てに,作者は,先にも書きましたように「カウンタ・パンチ」を放ちます。終盤にいたって,狂乱じみた事件捜査の中に挿入されていたさまざまな描写が,まったく異なる意味を持って浮上し,再構成され,“ブラック・ダリア事件”の全貌が明らかにされます。重厚ながらも,オーソドックスな「警察小説」的展開かと思っていただけに,この「カウンタ・パンチ」には,(多少,強引と思われる展開もあるものの^^;;)正直驚きました。また欲望と狂気,暴力と虚無感に全編彩られた作品ながら,最後の最後で,わずかながらの「救い」があったのが,読後感を後味のいいものにしています。
 まさにヘヴィ級ボクシングの試合を見るような,そんな作品でした。これはもう4部作を全部を読まねばなりますまい! つぎは『ビッグ・ノーウェア』だ!(でも,続けて読むのはちと辛いものがあります(^^ゞ ちょっと休憩いれてから・・・)
 あ,それと,ワン・センテンスが短い文体も,とても読みやすかったことを付け加えておきます(もちろん訳者吉野恵美子の文体とも関連するのでしょうが)。。

 なお「訳者あとがき」によれば,“ブラック・ダリア事件”というのは,実際に起こり,迷宮入りした事件だそうです。またカヴァの女性像が本物の“エリザベス・ショート”とのこと。事件そのものについてまったく知識がないので,どこまでノンフィクションで,フィクションなのかわかりませんが,まぁ,そんなことはまったく関係ありませんね。

98/08/22読了

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