篠田鉱造『幕末百話』岩波文庫 1996年

 「今昔の話,述(もう)さば浜の真砂と尽きません」(本書より)

 この作者が,明治の中頃に,幕末維新の時代を生きた人々からの聞き書き全百話を収録しています。語り手の身分や氏名は明らかにされていませんが,一介の町人から,それなりの身分にあった武士までと,かなり幅広いようです。ただし歴史の本に登場する大名や志士の類ではなく,一般人として経験した幕末維新が語られています。また巻末には,明治の初頭に大店三谷屋に奉公していたおまささんが思い出を語る「今戸の寮」が収録されています。

 インターネットの普及で,探している本の入手は,以前よりもずっと容易になりました。オンラインの書店や古書店で検索一発,好きな作家さんの入手可能な作品一覧が眼前に現れます。またネット上にはさまざまな新刊を紹介するサイトが,それこそ星の数ほどあります。しかし,そうはいっても,やはり書店や図書館でぼんやりと本の背表紙を眺める楽しみも捨てがたいものがあります。とくに,ふと何気なく手に取った見知らぬ本を数ページ立ち読みして,「ピピピ」と来る作品に出会ったときの喜びは,本読みにとって,何事にも代え難いものです。本書もそんな1冊です。

 さて「幕末維新」というと,それまで200年以上にわたって支配してきた徳川幕府が崩壊したわけですから,いわばそれまで「あたりまえ」だったものが失われるという大激変の時代です。それはたとえば「六○ 維新前後刀商と西洋人」の中で,語り手である刀剣商人が「(刀剣商は)コレ程堅い商売はないとばかり思っていた」という言葉に表れています。坂本龍馬の有名なセリフ(といわれている)「これからは銃の時代だぜよ」を引っ張ってきて,この人物の感覚を「古くさいもの」「先見性のないもの」と嗤うのは簡単ですが,それは「歴史の後知恵」というヤツで,今の時代に生きるわたしたち,もしかすると幕末以上に先行き不透明なわたしたちの感覚とさほど変わらないのかもしれません。
 あるいはまた本書には,おそらく武家の思い出として,かなり悪どい所行が語られます。たとえば「一四 将軍御召料御茶壺」などでは,有名な「御茶壺道中」の贅沢三昧が描かれていますし,あるいはまた「七五 日光例幣使の話」では,貧乏公卿がここぞとばかりに阿漕にお金を集める姿が語られます。そのほか賄賂の話,侍の乱暴狼藉な話などもあり,これらもまた,「解説」の尾崎秀樹が言うように「腐敗と堕落」と言ってしまうのも簡単ですが,どこか「小権力」を持った人間の悲喜劇として,いまでもまた十分に通用するようなエピソードに思えます。
 さらに江戸で起こる各種の事件もまた,現代に通じるものがあります。「一 江戸の佐竹の岡部さん」は,侍ならではの横暴さはあるにしても,どこかストーカーというか,サイコパスというか,そんなキャラクタを彷彿とさせますし,「三七 女太夫と袈裟懸の辻斬り」「四八 探偵実話強盗医者」なども,今のワイドショーのネタか,2時間サスペンス・ドラマにでもありそうな事件です。まぁもっとも「七一 公方様悪口の祟り」「七八 昔の刑事の話」に出てくるような拷問もためらわない尋問(?)というのは,やっぱりご遠慮願いたいですが…^^;;
 一方,ユーモアというか,笑ってしまうような話もあるわけで,「三五 狐つきのお話神田の能勢様」は,お店の金を使い込んだ男が「狐憑き」を装ったらひどい目にあった話ですし,「八○ 鈴木藤吉郎の話」には,手鎖を火事で失った男が「張りぼて」の手鎖を作るという話。また刀を質に入れてしまった侍が,脇差しを太刀に装うという「脇差刀と見せ羽織」も苦笑させられます。ドラマや小説では勇ましく描かれる「血判状」の実態を描いた「六七 血判起誓文の話」もいいですね。
 もちろん幕末維新らしいエピソードも多数収録されています。「二 上の山門に屯集の賊徒ども」では,彰義隊に入っていた男が命からがら逃げ出す話。また「九三・九四 三田騒動薩州討入」は,江戸市中での幕府と薩摩藩との暗闘の一端を庶民の目から描いています。とくにその巻き添えを食って死んでしまった老婆に対する言及は,「幕末維新史」が単なる「志士たち」の物語ではないことを示しています。また「貧窮組」を名乗る,一種の「打ち壊し」を述べた「四二 江戸瓦解前の貧窮組」や,追剥ぎや辻斬りが横行したという「二四 正月の夜江戸の物騒」などは,庶民レベルで感じられる社会不安が巧みに切り取られています。

 語られるセリフや比喩に,わかりにくいところもありますが,まるで時代小説を「地」で行くような実話集は,多彩な短編集を読むようなおもしろさがあります。

02/05/03読了

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