ヘンリー・ジェイムズ『アスパンの恋文』岩波文庫 1998年

 夭折した詩人ジェフリー・アスパンのかつての恋人ミス・ボルドローが生存していた。そして彼女は,アスパンからもらった恋文を所蔵しているという。評論家の“わたし”は,その恋文をなんとか入手しようと,彼女の家に正体を偽って下宿し,そして彼女の姪ミス・ティータに接近するが・・・。

 ヘンリー・ジェイムズの作品は,以前『ねじの回転』を読んで,どうもいまひとつピンとこなかったのですが,富田さん@文庫本大好きが,サスペンスフルな作品と紹介されていたので,読んでみました。

 物語の中心には,タイトル通り,“アスパンの恋文”があります。
 ミス・ボルドローは本当に恋文を持っているのか? あるとしたらどこに隠してあるのか? もしかしてすでに燃やしてしまったのではないか? あるいは高齢であるため,死ぬ間際に燃やしてしまうのではないか? ミス・ボルドローは“わたし”の意図に気づいているのか? 彼女の思惑は? 
 その手紙をめぐって,“わたし”,ミス・ボルドロー,ミス・ティータの間で,虚々実々の駆け引きが繰り広げられながら,物語は展開していきます。とくに“わたし”は,ガードの固いミス・ボルドローを脇から攻めるため,姪のミス・ティータに近づきます。彼女は世間知らずで,どこかピントのはずれた中年女性。伯母に対して屈折した思いも持っているようで,“わたし”は彼女を利用して,恋文を手に入れようとしますが,ミス・ティータの方では,“わたし”に対して独特の感情(恋愛感情と呼んでいいのかどうか迷うところですが)を抱き始め,“わたし”を困惑させます。
 そして“わたし”は,ミス・ボルドローの手練手管に乗せられつつ,恋文を手に入れるために,大きな決断を迫られるのですが・・・,というところでアイロニカルなエンディングを迎えます。
 そういった“恋文”の謎をめぐるミステリアスな物語としては,それなりに楽しめました。

 ただ,正直なところ,どうも主人公の“わたし”に感情移入できませんでしたね。この主人公,上品ぶったいやらしさ,とでもいうのでしょうか,なにやら言い訳じみたことをくだくだと読ませられているような印象が強いです。一方で「たとえ盗み出してでも恋文を手に入れるんだ」みたいなことを言いつつ,その一方で,そのことに対していろいろと理屈をこねたり,いまひとつ踏ん切りが悪い・・・。時代の道徳観,倫理観の違いもあるのでしょうが,ちょっと馴染めないところがありました。

 ところで,細かなことなのですが,英文における「!」の用い方と,それが日本語で表現されたときの印象というのは,ずいぶん違いますね。たとえば,
「『ああなんてすばらしい邸なんでしょう!』とつぶやいた」
という文章が出てくるのですが,「つぶやく」という表現と「!」が同居していることに,どうしても違和感が拭いきれませんでした。感嘆表現に「!」をつけるのは英語では当たり前のことなのでしょうが,日本語の場合,そういった伝統がないせいか,「!」がつくセリフというのは,大声で叫んだり,確信もって断定,強調したりするというイメージが強く,少なくとも「つぶやく」という言葉の発し方とは,少々しっくりこないところがあるように思います(これは,まぁ,個人的な感覚なのかもしれませんが)。

98/05/31読了

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