大原まり子『アルカイック・ステイツ』ハヤカワ文庫 2000年

 太陽系を支配するジェネラル・アグノーシア,宇宙航行種族との調整機関・権威評議会,古代銀河帝国の時間的蜃気楼“アルカイック・ステイツ”・・・28世紀の太陽系は,この3つの勢力のせめぎあいが繰り返されていた。しかしそのパワー・バランスは,ひとりのテロリストによって崩されようとしていた・・・

 作者自身が,作中でも述べていますように,この作品で描かれているのは,まさに「神話」であると思います。
 「神話」とはなにか? それは「混沌」と「秩序」のちょうど間に位置します。ですから「神話的世界」にあっては,秩序と混沌とが入り混じり合い,溶け合っています。秩序の側に身を置くものとしては,それは恐るべき不安をもたらし,混沌の側にとっては,一種の「産みの苦しみ」を味わいます。「神話」とは,そんなエネルギッシュであるとともに,恐怖と不安をともなったものです。その「神話」のさまざまな「貌」を,作者は奔放な想像力でもって描き出しています。

 この作品における「描かれざる前史」を想像するに,舞台となる28世紀の太陽系は,ジェネラル・アグノーシアに象徴される「聖」と,権威評議会に代表される「俗」との拮抗・確執・対立として存在したのではないでしょうか? さらにより広い視野の中では,「太陽系」と「銀河連邦」との対置という図式が浮かび上がります。そういった「二項対立」として「世界」は構成されています。対立はあっても,それはそれで,ひとつの「秩序」を持った「世界」です。
 そこに「アルカイック・ステイツ」という,対立の外側に位置する「第三者」が出現することで,事態は変貌していきます。「アルカイック・ステイツ」は,単なる「第三者」ではありません。ジェネラル・アグノーシアとも,権威評議会とも,また銀河連邦とも異なる,理解の外側にある「混沌」です。誰にも「混沌」の「意図」(あるとすれば)はわかりません。「アルカイック・ステイツ」に接触できるものとできないものとの明確な基準は存在せず,また接触したものに富をもたらす場合もあれば,破滅をもたらす場合もある。そして,「秩序」の基盤をなす「時間」−過去から未来へと一方向的に流れる時間−からも解き放たれた存在でもあります。「混沌」は,「秩序」にとって理解不能であるがゆえに「混沌」なのです。そして,その「混沌」との接触により「秩序」は混乱し,瓦解し,「神話」へと回帰していきます(そのきっかけとなるテロリストエマヌエル・スラウチとは,神話にしばしば登場する,世界=秩序を攪乱するものとしての「トリック・スター」の役割を担っているのでしょう)。

 しかし「混沌」はまた「生みの親(=母親)」でもあります。あらゆる秩序も,すべての対立も「混沌」から生み出されます。太陽系で繰り広げられる「聖」と「俗」との対立を「外側」から眺める「銀河連邦」さえも「混沌=アルカイック・ステイツ」から生み出された可能性が,本編ラストにおいて示唆されています。それゆえ,「混沌」のエネルギィは,秩序を破壊するものであるとともに,新たな秩序を再構築する力も持っています。そしてその「力」を利用しえるのは,「俗」の「力」ではなく,ジェネラル・アグノーシアという「聖」なる存在なのでしょう。「秩序」の側に身を置きながらも,「混沌」への親和性を保ち続ける存在としての「聖」です。アグノーシアが,時間と空間を飛び越えて,太陽系のあらゆる「場所(=時空間軸の結節点)」に姿を現すということは,たしかにテクノロジィがその背景にあるとしても,限りなく「混沌」の在りように近いものです。
 アグノーシアは,「秩序」と「混沌」との両側にそれぞれの足を置く「シャーマン・キング」であるとともに,「混沌」をみずからの胎内に「孕む」ことで,新たな「秩序」を,「世界」を生み出す「地母神」であるとも言えるのではないでしょうか。新しい「秩序」の再構築と,彼女自身の出産シーンが重ね合わされているところは,それを象徴しているように思います。

 だからといって,この作品のキャラクタたちが,神話に登場する「役割」を果たしているだけというわけではありません。なぜなら,この作品で描かれる「神話的世界」の背後に,アグノーシアの人間としての力強い意思と,世界に対する愛が横たわることが明らかにされるからです。それは,人が,「混沌」と「秩序」との間で振り子のように動く「歴史」に翻弄される存在ではなく,その間の「神話」の中から,よりよき「秩序」を作りだそうとする意思を持った存在であることを示唆しているように思います。
 この作品は,「神話」を描きながらも,その「神話」を超克する人間の意思と愛をも描き出しているように思います。

00/12/03読了

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