新田次郎『アラスカ物語』新潮文庫 1980年

 「どこのエキスモーなのあなた」
 「日本というところからやって来たエスキモーだ」
(本書より)

 明治時代の初め,日本を離れた安田恭輔は,アラスカ・ポイントバローにたどり着く。そこでエスキモーの女性と結婚した彼は,エスキモーの一員として新たな人生を歩み始める。しかし,白人の鯨乱獲による飢餓,疫病の流行のため,エスキモー村は崩壊の危機に瀕する。一族の存亡を賭けて,彼は新天地を探す旅に出るが…

 海外で活躍する日本人がいます。アメリカ・メジャーリーグでのイチロー野茂英雄,ヨーロッパで奮闘する中田英寿らサッカー選手などが耳目に触れますが,おそらく,マスコミで取り上げられる彼ら以外にも,たとえば経済や学問の世界などで,第一線で活躍する日本人も数多いでしょう。彼らの姿を目にするとき,単純にうれしく思いますが,彼らをもって「日本の代表」「日本の誇り」と称揚したり,ましてや「日本人の優秀さの証明」などと喧伝するのは,いかがなものかと思います。
 なぜなら彼らは,「自分自身」のために,その生きる場を海外に求めたのであって,彼らの活躍とは,(もちろんバックアップはあるにしても)まずなによりも自分の努力であり,人生であり,その成果なのです。彼らはけっして「日本人を代表して」「日本を背負って」やっているわけではありません。その「おいしいところ」だけを取り上げて,手放しに持ち上げるのは,傍観者の分をわきまえない無責任で傲慢なことではないかと思います。下手すれば,偏狭なナショナリズムの罠に陥る危険性もあるでしょう。
 さて本編は,アラスカで生涯を終えたひとりの日本人,フランク安田こと安田恭輔の波瀾万丈の人生を描いた作品です。滅亡の淵に立ったエスキモーの一族を,アラスカ内陸部の新天地ビーバーへと移住させ,「ジャパニーズ・モーゼ」と呼ばれた人物です。ただしここで注意しなければならないのは,フランク安田は,「エスキモーの一員」として,その偉業を成し遂げたことでしょう。たしかに彼は,本来の意味でのエスキモーではありません。19歳までを日本で過ごし,またアラスカに来る前にはアメリカで働いています。それゆえに伝統的な生活を送るエスキモーの考え方や社会体制に対し,ときに苛立ち,ときに失望もしますが,妻ネビロの協力を得ながら,エスキモーとしてエスキモーを救うべく,新天地を目指します。ここで「日本人だから」「日本人なのに」といった評言をつけることは,おそらくフランク安田にとって失礼になるのではないかと,わたしは思います(ですから第二次大戦中,彼が「日本人」であるがゆえに強制収容所に入れられてしまうというのは,あまりに哀しいことでした)。
 そんなフランク安田のキャラクタを,的確かつ鮮明に浮き彫りにしているのが「第1章 北極光」でしょう(巻末の「アラスカ取材紀行」というエッセイによれば,当初,この章は独立短編として発表されたそうです)。北極海で氷に閉じこめられた米国沿岸警備船ベアー号を救出すべく,アラスカのポイントバローを目指して,130マイルに及ぶ氷原を単独徒歩で踏破しようとする姿から,彼の堅固な意志,状況を冷静に分析し,困難を乗り越えていこうとする姿勢などが読みとれます。また北極圏の苛酷な自然環境,ベアー号における白人からの差別なども盛り込むことで,彼がこれから生きようとする「舞台」をも鮮やかに切り取って見せています。
 また,波乱に満ちた人生ながら,作者はむしろ抑制の効いた淡々とした文章で,フランク安田の生き様を描いていきます。しかし,要所要所に鮮烈なシーンを挿入することで,ストーリィにメリハリをつけています。たとえば,彼がはじめてネビロと出逢うシーン。エスキモーの伝統的なトランポリンで,日の光を受けながら飛び跳ねる彼女の中に,故郷で別れた恋人千代の姿を見いだすシーンです。また鉱山師トム・カーターと組んで,ブルックス山脈で金鉱を探し当てるシーン。彼は,狂おしい喜びに憑かれ,砂金を拾い集めます。別行動をとっているカーターに連絡するため,同行したエスキモーを「騙して」発見を伝えようとするところに,彼のリアリスティックな側面が出ているように思います。さらにビーバーに移住するため,近隣に住むインディアンの酋長アラシュックとの,堅苦しいながらユーモアあふれる交渉シーンなど,印象深いものが数多くあります。
 そしてもうひとつ印象的なのが,妻のネビロでしょう。キリスト教会に通い,「近代」に触れた彼女は,伝統的なエスキモーの女性の立場を超え,フランクについていきます。当時のエスキモー,いやさアメリカにおいてさえも,あるかどうかもわからない金鉱探しに妻が同行するということは,ほとんど考えられないようなことだったのではないかと思います。彼女の行動力とヴァイタリティもまた,フランクにとってなくてはならない「支え」だったのではないかと思います。

※現在,「エスキモー」「インディアン」という言葉は差別表現として用いられなくなっているようですが(「エスキモー」→「イヌイット」,「インディアン」→「ネイティブ・アメリカン」),ここでは,作品中の表現を尊重しました。

02/09/01読了

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