東野圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』集英社文庫 1998年

 みずからの小・中・高校時代,そして大学時代の思い出をつづったエッセイ集です。タイトルからもわかりますように,作者の「アホな話」「恥ずかしい話」満載の楽しい作品です。
 本書を読んで,まず感じたのは,「青春っていうのは基本的に恥ずかしいものなんだ」ということですね(笑)。それこそ,どこぞの山中奥深くに穴を掘って埋めてしまいたいような,そんな類のものなのでしょう。ですから,テレビで描かれるような「かっこいい青春」とか,文部省お墨付きの「悔いのない青春」というのは,「青春」の「類似品」であり,「まがいもの」なのです。しかし,このエッセイ集で描かれている「青春」(小学校時代を「青春」と呼んでいいかどうかはわかりませんが^^;;)は,かなり赤裸々なものではないかと思います。

 たとえば「『したことある者,手え挙げてみい』」とか「更衣室は秘密がいっぱい」とかは,もう,「当時僕たちの頭の中は,あのことばっかりだった」という,けっしてこの作者だけのものではない,あの得体の知れぬ「もやもや」を隠すことなく描いているように思います(<思い出すと,ちょっと恥ずかしい^^;;)。
 また「僕のことではない」に描かれている,親からもらった食費をなんとかケチって小遣い銭をひねり出そうとする涙ぐましい努力や,「幻の胡蝶蹴り」でのブルース・リー映画を見たときの「血沸き肉踊る勘違い(笑)」,映画作りに熱中する「あの頃ぼくらは巨匠だった」などなど,「あんたも,思い当たるところ,あるやろ!」と言われているようで,思わず「ごめんなさい,隠してましたが,じつはわたしにも経験があるんです」と平伏してしまうようなエピソードばかりです(わたしの場合は映画ではありませんでしたが・・・・。え? なにかって? それはヒ・ミ・ツ)。

 それとなにより楽しかったのが,「つぶら屋のゴジラ」「『ペギラごっこ』と『ジャミラやぞー』」「俺のセブンを返せ」などで描かれている,「怪獣映画」「特撮モノ」に関するエピソードですね。わずかに(笑)世代差を感じさせる部分もありましたが,たとえば『ウルトラQ』に対する思い入れなど,すごく共感できる部分がありました(それにしても『ウルトラQ』の最終話「あけてくれ」は,再放送のときに付け足されたんですね,知らんかった・・・)。

 そう「共感」なのでしょう。
 普通,人は,自分の「恥ずかしい話」を好きこのんで話すことはありませんが,なぜか「青春の恥ずかしい話」だけは,つい話したくなったり,あるいは聞きたくなったりします。それは,そこに「共感」できる部分,シンクロする部分があるからこそなのかもしれません。「あの頃ぼくらアホでした」と共感できるからこそ,「青春の恥ずかしい話」はこんなにも楽しいのだと思います。

 しかし,こういう「受けるためならなんでも喋っちゃう」というノリは,やっぱり関西なんだろうなぁ,という感じも一方でしますね(笑<偏見?)。

98/06/05読了

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