ロバート・ブロック『暗黒界の悪霊』ソノラマ文庫 1985年

 「私たちがこうであろうと思いこんでいることは果たしてどこまで本当なのだろうか」(本書「悪魔の傀儡」より)

 「ソノラマ文庫海外シリーズ」の第15集です。サブ・タイトルに「クートゥリゥ神話中心の短編集」とあるように,クトゥルフ神話関係の作品など計10編を収録しています。

「星から来た妖魔」
 “私”が,ついに手に入れた禁断の書。その翻訳に友人に依頼するが…
 ホラー小説において,一人称の文体は定番のものでありますが,本作の場合,作者自身をおもわせる“私”に加え,プロヴィデンス在住(!)の友人を登場させている点は,「遊び心」であるとともに,クトゥルフ神話におけるラヴクラフトの存在の「特権化」でもあるのかもしれません。
「猫神ブバスティス」
 “私”が猫恐怖症になった理由をここに記す…この遺書に…
 古代において,現代より進んだ技術−異形の技術が存在していたとする設定は常道と言えますが,古代エジプト人がイギリスに移住していたとする,大胆な伝奇的発想が楽しめます(あるいは,そんな「トンデモ説」でもあるのかな? まぁ,かつてはイギリスのストーンヘンジも,エジプトのピラミッドの影響と言われていましたが))。クライマクスのスリルも良いです。
「自滅の魔術」
 みずからのうちの「善」と「悪」を分離しようとした魔術師は…
 「内なる悪」というのは,作中で触れられている『ジキルとハイド』に代表されるように,ホラー作品の重要なモチーフのひとつなのでしょう。魔術という素材を介して,そのことを皮肉に描き出した作品です。
「悪魔の傀儡(くぐつ)」
 久しぶりに再会した旧友は,大いに様変わりしており…
 アメリカ版「人面疽」といった作品です。それはおそらく,「自分が自分でなくなる」「自分を自分でコントロールできなくなる」という,古今東西で共通する恐怖が根底にあるのでしょう。
「嘲笑う屍食鬼(グール)」
 精神科医の“私”を訪ねてきた男は,奇怪な夢の話をし…
 本編の「恐怖の核心」はふたつあるのでしょう。ひとつは,「墓地」という,非日常空間を介してとはいえ,足許すぐ下に怪異が息づいているという恐怖。そして,ラストで明らかにされるもうひとつの恐怖…それは,前掲「自滅の魔術」「悪魔の傀儡」に通じるものがあるように思います。
「セベク神の呪い」
 奇矯な趣味を持つグループが,エジプトのミイラを運んできたことから…
 「キリスト教以前の高度な文明を持った古代エジプト」というのは,多くの欧米人(=キリスト教徒)にとって,畏怖と嫌悪と憧憬が入り混じった不思議な魅力を与えるものなのかもしれません。そして「ツタンカーメンの呪い」などといった,ホラー的な素材にも事欠かないのでしょう。
「暗黒界の悪霊」
 自分が見た夢を作品にする怪奇作家。彼が死んだ理由は…
 登場する作家をラヴクラフトと特定しているわけではありませんが,かなりその色合いが強く,「星から来た妖魔」と同様,その人物を「単なる怪奇作家」ではなく,「何かを知っている神秘家」的な扱いをしている点,ある意味,これもブロックのラヴクラフトへの「愛」なのかもしれません(<なんか誤解招きそう^^;;) 
「ドルイド教の祭壇」
 新しく来た領主は,村人の忠告も聞かず,その古い石の祭壇に手を付け…
 「神話」以外の,オーソドクスな「封印破りパターン」のホラーです。「邪教」と呼ばれるものが,じつは,太古の恐るべき存在の復活から世界を守っている,という可能性を想起してしまうのは,一神教を持たない日本人の発想なのかな?
「納骨所の秘密」
 “私”は今,納骨所へと入る。一族の謎を解き明かすために…
 ストーリィや内容よりも,むしろ映像的インパクトを主眼に置いたような作品です。ヴォリュームの関係もあるのでしょうが,ラストがちょっとあっけない感じで,伏線なり,ひねりなりがほしいところではあります。
「顔のない神」
 一儲けを企んだ山師は,異形の神の像を求めて砂漠へと入り込むが…
 「顔がない」ということは,それ自体,異形として恐怖の対象ではありますが(小泉八雲「むじな」のように),それとともに,「顔」「表情」が,コミュニケーションにおける重要な属性であることを考えた場合,「顔がない」とは,まさにコミュニケーションの拒絶・断絶をも意味しており,そこから生じる恐怖は,人間にとって,より根源的なものなのかもしれません。

04/10/11読了

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