小林恭二『悪夢氏の事件簿』集英社文庫 1997年

 他に類を見ないおんぼろホテル・アカギホテルの一室に住まう,通称“悪夢氏”。彼と“わたし”とが遭遇する四つの不可思議な事件をおさめた連作短編集です。

 なんとも不思議な手触りを持った作品集です。「事件簿」というタイトルがつけられているように,ミステリ的な体裁,雰囲気を持っているのですが,スラプスティクス的なテイストもあり,また作中で交わされる会話の端々に,人間に対するシニカルな眼差しが見え隠れします。「にやり」としつつ,どこか薄ら寒い感じがするところもあります。
 なにより主人公の“悪夢氏”の設定が珍妙です。彼は,作中で語られることのない「ある忌まわしい事件」を契機に,以来,夜毎見る夢すべて悪夢という特異体質という人物です。この主人公の設定が,なにか積極的な利点があるかというと,じつのところ,なにもないような感じです。むしろこの設定は,主人公の宿敵“M”を存在させるための,多分に象徴的な属性のようです。
 で,この“M”,子どもの頃,悪夢氏とともに育ち,彼にそっくりの容貌の持ち主です(ただし血のつながりはない)。「ある忌まわしい事件」で,悪夢氏が悪夢を見るようになったのとは反対に,“M”は周囲の人間に悪夢を与える「純粋悪の伝道師」となります。悪夢氏は,悪夢をひたすら内向させるのに対し,“M”は外へと悪夢を広げる,いわば「同じカードの表と裏」という存在です。ですからこの物語は,「悪vs正義」の闘争というものではなく,「悪」を別様な形で抱え込んだ人間同士の,いわば「近親憎悪」的な争いといえるかもしれません。あるいは,鏡に写った虚像と実像の争いのような・・・。
 そんな,一言で言い表すことのできない「奇妙さ」が,この作品,ひいてはこの作者の持ち味なのでしょう。

 この作品集に収められた4編のうち3編―「悪夢氏最初の御挨拶」「新・自殺クラブ」「不成功倶楽部」―が,悪夢氏と“M”との対決を描いています。いずれも「純粋悪の伝道師」として,さまざまな人間を破滅へと追いやる“M”に対して,あの手この手で悪夢氏が阻止しようとします。
 その中でおもしろかったのが,「新・自殺クラブ」です。毎晩同じ悪夢―「自殺クラブ」に入れられ,無理やり自殺させられる夢―を見るという,“わたし”の友人の妻が自殺し・・・,という話。予知夢,ダウンジング,死への願望(「タナトス」でしたっけ?)などなど,怪しげなネタが満載のエピソードです。予知夢のあつかいがなかなか巧くて楽しめました。ダウンジングの方は,本当かどうかわかりませんが,作品世界では筋の通った伏線になっているところがいいですね。

98/09/18読了

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