ボアロー,ナルスジャック『悪魔のような女』ハヤカワ文庫 1997年

 セールスマンのフェルナンは,妻のミレイユを,愛人の医師・リュシエーヌと共謀して殺害。事故死に見せかけ,保険金200万フランを詐取しようとするのだが・・・。

 サスペンス小説の古典として有名な作品ですが,いままで読む機会を逸していました。本屋でたまたま見つけ,さっそく読んでみました。どうやら映画がリメイクされたのに合わせ,新訳(?)で出たようです。

 ミステリやサスペンスの古典というのは,魅力的でおもしろいほど,さまざまなヴァリエーションや模倣を生み出すのが,宿命といってもいいのかもしれません。とくに「たしかに殺したはずなのに・・・・」というシチュエーションは,それこそ2時間ドラマで何度となく繰り返され,夏になれば,幽霊ネタとくっついて毎年のように放映されます。ですからそういった作品(?)群に,「もういいよ」と思っていると,この作品の結末は「あ,やっぱり」と感じてしまうかもしれません(わたしは感じました)。しかしこの作品のオリジナルが発表されたのが1952年(はじめて日本語訳が出たのが,皆川博子の解説によれば1955年とのことです),つまりじつに半世紀近く前のことであることを考えると,むしろこちらの方が「元祖」「本家」といえるのかもしれません(もちろん,トリックやシチュエーションが「元祖」や「本家」よりおもしろくなる例も山ほどあるのでしょうが)。

 だから,シチュエーションや結末は,まさに「古典的」でありまして,「意外な真相」と呼ぶのはためらわれますが,物語の展開そのものは,スムーズで巧いなあと思います。とくに冒頭のシーンは,登場人物の行動や心理を描写していく過程で,これから行われる犯罪の動機や背景,目的などを,無理なく「説明」しています。また妻を殺したフェルナンのおびえ,焦り,苛立ち,そして狂気にも似た心境への傾斜が,これでもかといった感じで描き出されていきます。またフェルナンの内向的な少年時代や,父親への屈折した想い,またドロップアウトしたという劣等感などが混ざり合い,読んでいて息苦しくさえ感じます(この「息苦しい」というのは,サスペンスの場合,褒め言葉の一種と思ってください)。まあ,多少滑稽な感がないでもありませんが・・・。そして最後の一文。犯罪の成功が,じつは薄氷の上のように頼りないものであったこと,成功した側が,じつはいつでも容易に失敗者(被害者)に替わってもおかしくはなかったことを暗示するエンディングの一文は,思わず息を呑んでしまいました。トリックやシチュエーションが見慣れたものであり,結末が予想できるものであったとしても,結末まで読者を惹きつけ,引っ張っていくのは,やはり作家の技量というものなのでしょう。

97/07/02読了

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