愛川晶『七週間の闇』講談社文庫 1999年

 臨死体験研究者・磯村澄子が,自宅の一室で首吊り死体で発見された。チベット仏教の衣裳をまとった彼女の躰は,さながら壁に掛けられた巨大な絵画の歓喜仏に抱かれるようであった。事件は自殺と判定されたが,馬目俊作刑事には納得できないものが残った。そして5年後,思わぬところから事件は新たな展開を見せる・・・

 「不可解な謎」は,ミステリ,とくに本格ミステリにおいて,重要な要素となります。その不可解さを強調するために,しばしば,怪奇趣味,オカルト趣味が導入されることは,常套的手段のひとつと言えましょう。海の向こうではJ・D・カー,国内では横溝正史あたりが,その代表的な作家さんといえるかもしれません。近年では京極夏彦といったところでしょうか。
 もちろん,怪奇趣向を盛り込んだミステリにも(普通のミステリと同様)ピンからキリまであるわけで,単におどろおどろしさを盛り上げるためのデコレショーンに終始している作品もたびたび目にします。あるいはまた,安易に怪奇趣味を導入した揚げ句,ホラーとしても,ミステリとしても中途半端にエンディングを迎えてしまう作品もあるでしょう。わたしは基本的に怪奇趣味・オカルト趣味のミステリに対する嗜好があるにもかかわらず,そんな「痛い目」にたびたびあっているせいでしょうか,その手のテイストを「売り」にしている作品に対しては,どこか身構えてしまうところがあります。

 さて本編は,カヴァ裏に「ホラー・ミステリ」と紹介されていますように,臨死体験チベット仏教(ラマ教)輪廻転生といったオカルト趣味満載の作品です(これらのことを真面目に研究している方もおられるので「オカルト趣味」と断じてしまうのは少々ためらわれますが)。しかし本作品の場合,それらがけして単なる「舞台装置」ではなく,事件そのものの核心に深く結びついている点,「看板に偽りなし」といったところでしょう。
 しかもおもしろいところは,そのオカルト趣味の一方で,ある最新医学技術が導入されています(ネタばれになるので具体的には書きませんが)。読んでいる途中は,「調べたことを羅列しているのかなぁ」などと失礼千万のことを考えていたのですが,最後になって,この技術がオカルト的事件と結びつきます。この技術があるからこそ,“真犯人”の“オカルト的動機”が成立し得たということが明らかにされるラストは,正直驚きました。まったく異なる分野を論理的に結びつけているところは卓抜な着眼点と言えるでしょう。
 本編の魅力は,そういったアイディアの部分とともに,巧緻な構成にもあると思います。ストーリィは,「昭和62年」「平成5年」「平成11年」という3つの年代をそれぞれ描いています。とくに「平成5年」は,“私”という一人称で語られ,“私”の「現在」と「過去」とが,交錯しながら描かれていきます。そして「昭和62年」になにがあったのか? そのときの事件の真相はいかなるものなのか? が,しだいしだいに明らかにされていきます。さらに断章のごとく挿入される「平成11年」が,「平成5年」になにかが起こったことを暗示する,といった具合に,たくみにサスペンスを盛り上げ,緊張感ある構成となっています。

 作者の「文庫版のためのあとがき」によれば,作者の既刊長編の中で,本作品は「最も好き嫌いがはっきり分かれる作品」とのこと(「献本した知人から面と向かって罵倒された」ら,なんともたまらんでしょうねぇ^^;;)。わたしとしては,明らかに「好き」な方にはいりますね。

00/01/09読了

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