池宮彰一郎『四十七人の刺客』新潮文庫 1995年

 「侍は勝たねばならぬ。勝つことが侍の本分なのだ」(本書より)

 元禄十五年十月,元赤穂藩国家老・大石内蔵助は,秘かに京をたって江戸に入った。目的はもちろん,仇敵・吉良上野介の首を討ち取ることである。だがそこに至るまでの一年半,内蔵助は,吉良方の上杉家江戸家老・色部又四郎,そして将軍家側用人・柳沢吉保との間で,人には知られぬ暗闘を繰り広げていたのだった・・・

 考えてみると,『忠臣蔵』を真っ正面から扱った作品を読むのは,今回がはじめてかもしれません。もっとも,毎年12月になると,どこかしらの民放で放映されていた映画やドラマ(今でもそうなのかしらん?)を見ていて,だいたいのストーリィは頭に入ってます。とくに大昔のNHK大河ドラマ『元禄太平記』が好きだったので,大石内蔵助といえば江守徹柳沢吉保といえば石坂浩二を思い浮かべてしまいます(笑)(吉良上野介小沢栄太郎だったでしょうか? それとも西村晃だったかなぁ・・・(°°))

 さて本作品は,そんな,あまりに有名な,時代劇では何度も何度も繰り返し取り上げられてきた事件を描いていますが,それは『忠臣蔵』のイメージとはほど遠いものです。本編での大石内蔵助は「忠臣」ではありません。彼が吉良上野介を狙うのは,あくまで個人的な,侍としての美意識に基づくものです。そして吉良邸襲撃を,亡き主君の「敵討ち」としてではなく,「合戦」として捉えています。それゆえ彼が取る方法は,きれいごとの「武士道」ではなく,謀略であり,敵である色部又四郎をして「悪辣」と言わしめるほど権謀術数です。内蔵助は「戦略家」であり「戦術家」,つまり「兵法家」としての武士です。
 それを端的に示しているのが,「なぜ浅野内匠頭は吉良上野介に斬りつけたか?」という謎を描いたエピソードです。歴史上でも,その理由はいろいろと取り沙汰されているようですが,俗説では内匠頭が上野介に賄賂を贈らなかったからだ,とされています。しかし,本作品では,それを赤穂側の「でっち上げ」として描いています。「吉良邸襲撃」を正当化するための大義名分として,意図的に噂を流したとしています。もちろん,その真偽は判然としませんが,前半のこのエピソードで,内蔵助の戦略家としてキャラクタ設定と,本作品におけるメイン・テーマ−謀略戦・諜報戦としての「忠臣蔵」−を,鮮やかに浮かび上がらせています。そしてそれを皮切りに,吉良家の屋敷替えをめぐる内蔵助の奇策,要塞とも言える,新しい吉良邸の内部探索などなど,内蔵助vs又四郎の虚々実々の戦いが繰り広げられます。
 つまりこの作品は,作者独自の視点から,「善=赤穂」「悪=吉良」という「勧善懲悪」的な図式にはない,緊張感あふれるスリリングな闘争劇を,そして『忠臣蔵』ではない「赤穂浪士による吉良邸襲撃事件」を描いていると言えましょう。

 そういったユニークな点は,とてもおもしろく読めたのですが,ちとひっかかるところも二,三・・・。ひとつは,どこか「説教じみた」一般論が,ところどころ挿入されることです。その内容自体,わからないところもないわけではありませんが,作者の「意見」という形で,あまりに直に書かれていて,ストーリィに馴染んでないように感じられます。それと,クライマクスである吉良邸襲撃シーンで,個々の人物の来歴やら,赤穂家・内蔵助との因縁などが語られ,本来この場面が持つ緊迫感・スピード感を削いでいるように思います。

01/01/14読了

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