恩田陸『三月は深き紅の淵を』講談社文庫 2001年

 この感想文は,本作品の内容に深く触れているため,未読の方で,先入観を持ちたくない方には不適切な内容になっています。ご注意ください。

 「フィクションを求めることで,我々は他の動物たちと袂を分かったのだ。我々の向かうところは分からないし,最終的に何を用意されているのかは分からないが,その日から我々は孤独で複雑で不定形な道のりを歩み始めたのだ」(本書より)

 『三月は深き紅の淵を』・・・それは,きわめて限定された人々に配布された私家版の小説。執筆者も不明,出版年もつまびらかではない。その数は100部に満たないという。さらに所有者が他人に貸すことができるのは,わずか一晩だけ,コピーも不可という稀覯本。本書に隠された,そして託された秘密とは・・・

 「物語をめぐる物語」です。本作品は4章構成になっていますが,各章はそれぞれで完結した独立したエピソードになっていつつ,なおかつ相互にゆるやかに結びついています。
 「第1章 待っている人々」では,会社の会長から突然呼び出された社員鮫島が,会長宅に隠されているという『三月は深き紅の淵を』を3日間のうちに探し出すよう命ぜられるという内容です。ミステリ仕立ての本編において,ラストで二転三転するツイストが楽しめますが,最終的に本編で提示されるのは「物語る楽しみ」であり,それは同時に「物語を読み進めていく過程の楽しみ」であろうかと思います。それは登場人物のひとりの次のようなセリフに象徴されています。
 「でも,私は楽しくってね。物語が進行中である,というこの瞬間が楽しい。いつまでも終わってほしくない。そう思わないかね?」
 物語の楽しみ・・・それはまさしく物語を書いている,あるいは,読んでいる,その「時間」にこそあるのでしょう。
 つづく「第2章 出雲夜想曲」における『三月は深き紅の淵を』は,「自己治療としての物語」として登場します。出雲へ向かう夜行列車の中,ふたりの女性編集者が,本書の著者をめぐって推理を繰り広げます。本編においてもラストで思わぬどんでん返しが待ち受けていますが,その末に明らかにされるのは,ふたつの幼い傷ついた魂が,自己を取り戻すために必死になって「物語った」結果としての『三月は・・・』です。ここでは,「自己治療」あるいは「自己解放」という物語の重要な特性が描かれているように思います(ところで,本編に登場する耽美派作家両角満生って,どこか赤江瀑を彷彿とさせるんですが・・・)。
 「第3章 虹と雲と鳥と」は,本書中,もっともストレートなミステリとなっています。崖から墜死したふたりの女子高生,彼女たちはなぜ死んだのか,という謎をめぐって,多視点描写を効果的に用いながら,サスペンスフルにストーリィを展開させていきます。このエピソードでは『三月の・・・』は,そのタイトルさえも出てきません。わずかに死んだ少女が「書きたい小説」として,似たような構成の構想が語られるのみです。しかし本編は「物語がもつ負の側面」を描いているように思います。というのは,この事件の「犯人」の動機は,自らが紡ぎだした「自分自身の物語」に適合しない「別の物語」に直面し,それを否定することだったからです。冒頭に掲げた言葉は,本書のメイン・モチーフであり,人間にとって「物語」が宿命であることを意味しているように思います。しかし本編で描かれる「物語を守るための殺人」は,物語が必要であるがゆえに生じる「物語の陥穽」を示しているのではないでしょうか。
 そして最終章「第4章 回転木馬」は,一転してメタ・フィジカルな作品になっています。『三月の深き紅の淵を』を書き始めようとしている“私”,執筆のため出雲を旅行する彼女,それから,どこかファンタジィめいた学校を舞台にして繰り広げられる惨劇・・・この3つのストーリィが交互に描かれながら展開していきます。この3つに共通するもの−それは「物語の初源」ではないかと思います。“私”彼女は,言うまでもなく,「これから物語を書こうとする作家の姿」を表しています。“私”のパーツで言及されるさまざまな他の作品とは,ひとつの作品が生み出される際のバック・ボーンなのでしょう。また「彼女」の目を通して描写される出雲もまた作品を構成する重要なアイテムとなっています。「私」と「彼女」は,いわば,物語の具体的な「初源」なわけです。
 そしてもうひとつ,学園を舞台にしたストーリィには,そのストーリィそのものが書かれているという『三月は深き紅の淵を』という書物が登場します。つまり物語の中に物語があり,さらにその中にも物語があるという,いわば無限遡及的な入れ子構造を示唆しています。そのことは「物語はそれ自身,求め尽くせぬ初源を持つ」ことを意味しているのではないでしょうか。つまり「私」や「彼女」という「書き手」を持つことによって「物語」ははじめてこの世に出現しますが,それと同時に「物語」はそれ自身が自己を再生産する「生き物」であり,「作家」とはそのための単なる「媒体」とも言えなくもありません。

 「物語」は人より生み出され,ときに人を解放し,ときに人を呪縛し,そして人を超えて生きていく・・・そんな「物語」とは「いったい何なのか」「人間にとって物語はどのような意味を持つのか」などなど・・・「物語をめぐる物語」を,4編の「物語」によって,ときに象徴的に,ときにミステリアスに「物語った」のが本作品ではないでしょうか。

01/08/19読了

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