伴野朗『三十三時間』講談社文庫 1981年

 昭和20年8月16日−大日本帝国が瓦解した翌朝,密使を乗せた一艘の船が,上海から舟山群島へと向かう。孤島の守備隊が,終戦を知らぬまま,全滅の危機に瀕しているのだ。だが,船中ではつぎつぎとトラブルが発生,タイム・リミットの33時間は刻々と過ぎていく。何者かの妨害を排して,船は間に合うのか・・・

 「一定のタイム・リミットが設定され,それまでに目的を達成しないと,大きなペナルティが課せられる」というストーリィは,サスペンス小説や冒険小説の定番中の定番といえるものでしょう。本作品では,陰謀により全滅の危機に瀕した孤島の守備隊を救うために,日本敗戦の知らせを届けに行く,そのタイム・リミットは,タイトルにあるように「33時間」という設定です。
 作者は,まずその基本的な舞台を作り出すために,敗戦直前の上海を舞台に,「歴史の裏側」を丁寧に描き込んでいきます。特命を帯び隠密行動を取る山並大佐,日本の憲兵隊によって捕らえられた共産党スパイが漏らした謎の言葉,また凄腕の国民党スパイを追う日本の特務工作員などなど,複数の断片的なシーンを積み重ねながら,ミステリアスに物語を展開させていきます。このあたり,ソ連軍の参戦によって苦境に陥る日本軍の状況を織り込みつつ,重厚な国際謀略小説といったテイストが色濃く漂っています。

 で,物語は,このままの「ノリ」で展開していくと思いきや,「第2部」,つまり本編のメインである南海の孤島への密使派遣の場面になると,突如,“俺”という一人称でストーリィが語られるようになります。“俺”は,日本軍が雇った船の船長ダッチマンに雇われた臨時の船員です。彼の,ちょっと諧謔調の「語り口」で,ストーリィが描き出されます。
 この視点と文体の転換は,読んでいて,正直少々戸惑いましたが,この視点の固定化によって,ストーリィをますます錯綜としたものにすることに成功しています。まず基本設定としてのタイム・リミット。船上ではさまざまなトラブルが発生します。無線機の破壊,エンジンへの砂糖投入,そして起こる船内での殺人事件,さらにアメリカ軍の攻撃・・・それらが船の運航を遅らせ,刻々と時間を消費させていき,サスペンスを盛り上げています。
 これらさまざまなトラブルに対して,“俺”は「探偵」という役回りです。トラブルを起こした殺人者は誰か? その意図は那辺にあるのか? 密室状況のトリックと目的は? 被害者が残したダイイング・メッセージの意味は? などなどの謎が散りばめられ,“俺”はデータを収集しながら,犯人へと肉薄していきます。正統的なミステリ的な雰囲気をサスペンス小説に加味しています。
 そしてそれに加わる謎が,語り手である“俺”の正体です。中国人を装っていますが,語りの端々に日本人であることが匂わされます(土地の面積を説明するのに,日本の県名を引き出すあたり・・・)。“俺”はいったい何者なのか? その真意は? という謎が先行きに不透明感を与えています。
 つまり,「神の視点」から「人の視点」へと大きく転換し,読者の「視野」を限定することで,ストーリィ展開を複雑で,二重三重に謎めいたものにしているわけです。

 作品トータルとしては,途中での視点の変化という点が,アンバランスな印象を与えていることは否定できませんが,その結果生み出されたサスペンス,緊迫感はいいですね。

01/07/14読了

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