南原幹雄『銭五の海』上下巻 新潮文庫 1998年

 頃は幕末,質流れで手に入れた百二十石の小船を足がかりに,海運業へと乗り出した加賀の商人・銭屋五兵衛は,めきめきと頭角を現し,「海の百万石」とまで言われる大海商に成長する。さらなる躍進を目指す五兵衛の前には,しかし,旧弊な藩と「鎖国」という壁が立ちふさがる・・・。

 テレビの時代劇などでは,悪家老などと結託して悪事をなす商人というと,なぜか「廻船問屋の○○屋」というパターンが多いように思います。前々から不思議に思っていたのですが,本書を読んで,その理由の一端がわかったように思います。もちろん,廻船問屋に悪人が多いというわけではありません(笑)。
 武家の台所は火の車,農民は年貢でかつかつの生活,藩内での商売には厳しい規制,農業を経済の根本とし,藩という小宇宙がすべてであった封建時代において,藩と藩との境を越え,日本の海を縦横無尽に駆けめぐり,巨利を得る廻船問屋という商人の存在は,きわめて異質だったのかもしれません。その異質さ,そして莫大な利益に対する羨望と嫉妬,そういった有象無象が,廻船問屋に「悪党」という役回りを与えるのに,ぴったりだったのではないでしょうか。

 さて本書は,そんな廻船問屋として,一代にして大豪商の地位に登り詰めた“銭五”こと銭屋五兵衛の半生を描いた作品です。「商売に国境はない」という信念の元に,国禁を犯してでも,薩摩,ロシア,中国と抜け荷(密貿易)をおこない,銭五は莫大な富を手中にします(ただし「解説」によれば,銭五が実際に抜け荷をしていたかどうかは,はっきりしないそうです)。さらに加賀藩の“御用船”として,崩壊の危機に瀕した藩の財政の建て直しを任されます。しかし銭五ら改革派の前には,旧弊にして頑迷な藩の勢力と過激派・黒羽織党が立ちふさがります。はたして銭五の運命は・・・,というストーリィ。
 士農工商の身分制度,鎖国制度という,二重三重の制約の中で,ひとり商人として苦闘する銭五の波瀾万丈の半生は,たしかに魅力的な素材だと思います。実際,ストーリィを追いかけて,サクサクと読んでいけます。そういったところは楽しめるのですが,ただなんというのでしょうか,銭五の“姿”が見えてこないのです。男らしく,雄壮で,開明派・・・,で,彼が被るさまざまな災難は,いずれも運が悪いか,あるいは敵の謀略。つまり銭五にはいっさいの“非”がないかのような印象を受けます。ですから物語のキャラクタとしても,少々薄っぺらな感じが免れがたく,ましてや歴史上の人物としてリアリティが感じられません(もちろんこれは「歴史小説」でしょうから,必ずしも歴史的なリアリティは必要ないのかもしれませんが・・・)。それと,あまりにあざとい「引き」が多いのもちょっと白けてしまうところですね。

 う〜む,たしかに読みやすいことは読みやすいのですが,いまひとつの感じが残ってしまいました。もうちょっと重厚さというか深みのようなものがほしかったところです。

98/11/15読了

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