夢枕獏『妖樹・あやかしのき』徳間文庫 1991年

 退屈の虫にとりつかれたアーモンは,従者ヴァシタとともに,神々が住むという雪山(ヒマヴアット)へと旅立つ。ところが途中,雨に降られたふたりが迷い込んだのは,恐るべき魔物ラ・ホーが支配する森であった。襲いかかる異形のものとの闘いの果てに,彼らが見たラ・ホーの正体とは・・・。

 古代インドを舞台に,アーモンとヴァシタの活躍を描いたこの作者の作品には,短編集『月の王』がありますが,こちらは長篇です。作者の「初刊本あとがき」によれば,『月の王』に収録されている短編の方が,この作品より早く発表されたのですが,単行本化されたのは,こちらのほうが先のようです(文庫化も『月の王』より2年ほど早いようです)。

 ところで,これも「初刊本あとがき」に作者が書いているのですが,この作品や「九十九乱蔵シリーズ」を書き始めようとした頃,編集者の「どのような作品を書きたいか?」という問いに対して,作者は,
「雨月物語風の話を――」
と答えたそうです。わたしはこの文章を読んで,ストン,と妙に納得できるところがありました。
 この作者の描く怪異や異形のものたちは,恐ろしくも美しく,そして哀しみをも感じさせるものがあります。この作品の中心的な怪異“ラ・ホー”は,強力な結界で人々を捕らえ,男たちの血と女たちの肉体で永遠の生命と美しさを保っています。妖艶な美しさと,人を喰らう恐ろしさを合わせ持っています。
 また,アーモンによって倒される最後の姿,妖樹“紅末利迦”から外へ出ようとし,固化してしまうその姿は,異形な美しさをたたえています。そして固化する直前,“彼女”は哭きます。
「あおおおおお・・・・・・」
と哭きます。その,天空に向けて慟哭する姿は,異形の美しさとともに,哀しみにも満ちています。
 異形であることの哀しみ,異形でしかありえない哀しみ,異形であるがゆえに殺されねばならない哀しみ。人が他の動物を喰らわねば生きていけないように,異形のものも人を喰らわねば生きていけないとしたら,人の哀しみと異形のものの哀しみは,じつはごく近いものなのかもしれません。
 恐ろしくも美しく,そして哀しい怪異,異形のものたち――そんなところに,『雨月物語』で描かれる世界とあい響き合うものがあるのでしょう。

98/05/06読了

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