水野雅士『シャーロック・ホームズ 大陸の冒険』青弓社 2002年

 「ぼくの人生における最大の幸運は,ワトソンという友を得たことだった」(本書「最後の手紙」より)

 日本人シャーロキアンによる「贋作ホームズ譚」7編を収録しています。ホームズのパロディは,翻訳物をいくつか読んだことがありますが,和製作品はもしかすると今回はじめてかもしれません(いしいひさいちは除きます(笑))。

 さて本書に収められた作品のうち,「エリーゼ・ヴァイゲルトの失踪」「第三の血痕」「モンペリエの醜聞」は,いずれも実際の歴史的事件・人物に,ホームズが関係する,という体裁をとっています。作者の「あとがき」によれば,このような話作りは,ホームズ譚のパロディとしては「常套手段」とのことですが,わたしとしては,その手の作品を読んだことがなかったので,新鮮に感じられました。
 「エリーゼ・ヴァイゲルトの失踪」は,文豪森鴎外のデビュー作として有名な「舞姫」の元となった鴎外自身の恋とその破局がベースになっています。たしかにこのエリーゼが鴎外を追って来日するという悲恋物語は,「エリーゼ失踪事件」という見方も可能なわけで,着眼点のおもしろさがありますね。またラストの一文は苦笑させられます。
 「第三の血痕」は,オーストリア帝国の皇太子ルドルフが,愛人と情死したという歴史的事件の「裏」を,ホームズが推理するというお話。どうやらこの情死事件は,実際に「歴史上の謎」として,いろいろと取り沙汰されているようです。登場する密室トリックは,もう古典中の古典ですが,ホームズ譚だからいいのでしょう(笑)
 著名なドレフェス事件や,歴史上,もっとも有名とも言える女性科学者キュリー夫人との絡みで描いているのが,「モンペリエの醜聞」です。ホームズの謎解きよりも,むしろホームズが「白面の騎士」で口にした,彼らしいセリフを巧みに用いながら,科学史上の大発見の裏にホームズがいたという設定の稚気が楽しいですね。
 「マスカレッリ家の葬式」は,実名こそ出てきませんが,明らかに画家ヴァン・ヴィンセント・ゴッホをモデルにしたエピソードです。「ゴッホ他殺説」というのは聞いたことがありませんので,設定に無理っぽさがあり(だからこそ登場人物の名前を変えているのかもしれません),前3作品に比べると,やや生彩に欠くように思えます。

 「退職した骨董屋」「ナイアガラの謎」の2編は,ともにアメリカ合衆国を舞台としています。「最後の挨拶」で触れられているアルバート・アルタモントとして活躍する,一種,インサイド・ストーリィ的なテイストを持った作品です。
 「退職した骨董屋」は,暗号ネタと衆人環視下での殺人を描くとともに,もうひとつの「仕掛け」を施すことで,本集中ではきわめてユニークな作品となっています。「テープレコーダー」という「文明の利器」を上手に用いているところがいいですね。「ナイアガラの謎」は,「退職した…」と同様,アイルランド独立闘争を背景として起きた殺人事件が題材です。ホームズ譚のフォーマットを踏襲しながらも,「聖典」ではあまり描かれることのない政治色の強い作品に仕上がっているところが,パロディとしてのおもしろさが出ていると言えます。

 ラストの「最後の手紙」は,タイトル通り,ホームズが死の間際に書いた5通の手紙を羅列しながら,ホームズが死の直前まで隠していた「秘密」が描かれています。女嫌いで,骨の髄から朴念仁である(笑)ホームズが,唯一「あの女性」と敬意を込めて呼んでいたとされるアイリーン・アドラーと,ホームズ最大のライヴァルモリアーティ教授,この「二大脇役」のエピソードを,じつに巧みに関係させながら1編の「異伝」を紡ぎだしているところは,作者の,人間としてのホームズに対する愛情が感じられます。それにしても,アガサ・クリスティポアロや,エラリィ・クイーンドルリー・レーンにもあるように,名探偵の最大の「秘密」が「あれ」というのは,いわば「定番」なんでしょうね(いかん! ネタばれか?^^;;)

02/03/20読了

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