木原浩勝・中山市朗『新耳袋 第一夜』メディア・ファクトリー 1998年

 「現代百物語」とサブ・タイトルのついた本書は,著者のふたりが集めた,いわば「実話怪談集」です。タイトルは,江戸時代,根岸鎮衛が著した怪談・奇談集『耳袋』に由来します。

 最初からこんなことを書いて恐縮なのですが,わたしはホラー小説や「都市伝説」「学校怪談」の類が好きであるにも関わらず,最近書店でしばしば見かける「実話怪談集」なるものには,あまり食指が動きません。なぜかというと,まず第一に「あまりおもしろくない」ということ,言い換えると,「この話,どこかで聞いたこと(読んだこと)あるなぁ」と思わせるネタが多いからです。あるいは民話や都市伝説の類にちょっと脚色を加えただけのような「パクリ」ものも,よく目にします。また,この手の話は,その「怖さ」の根拠が,もっぱら「ほんとにあったんですよ」「実話なんですよ」ということに置かれていて,「話」として洗練されていないこともあげられましょう(もちろん,語り継がれているうちにソフィストケートされていった「巧い話」もあることはあるんですが・・・)。
 それと,やたらと「因果話」が頻出するのも,興ざめする原因のひとつでしょう。「幽霊が出た! 曰く,過去に自殺があった場所だった・・・」「怪奇現象だ! 曰く,凄惨な事故現場だった・・・」といったような,ワンパターンで安易な「オチ」があまりに多い・・・。「因果」というのは,一見,怪異を増幅しているようでいて,じつは怪異をひとつの「枠」の中におさめてしまう行為にほかならず,むしろ説明し得ない「怪異」であるがゆえに生じる不気味さ,怖さを減殺してしまうことのほうが多いように思います。

 じゃあ,なんでこの本を読んだのか,というと,どこかで(記憶あやふや^^;;),この本は「ちょっと違うらしい」というのを聞いたか,読んだかしたためです。で,本屋を見かけたのでさっそく購入,読んでみました。
 で,読後感はというと,けっこう楽しめました。その理由のひとつは,先に書いたような,変な「因果話」が(まったくというわけではありませんが)ほとんどなかったことです。ふたりの著者は,「まえがき」(?)でも書いていますように,「基本的にはいっさいの究明,解釈を求めず,ただ起こった現象を記録しただけ」というスタンスを保ち,怪異の曰く因縁を求めたりしません。また「実話怪談」にありがちな仰々しい表現を用いず,シンプルな,淡々とした文章で怪異を切り取って見せます。だからこそ,怪異の持つ「曰く言い難い不気味さ」がより鮮烈に浮かび上がっています。
 たとえば「第二十六話 雪の降った朝」は,人の入れないほど狭いビルとビルの狭間に降り積もった雪,その上に素足の子どもの足跡が点々とついている,というそれだけの話です(わずか3行!)。通常の「実話怪談」であれば,たとえば「以前,子どもがビルの間に落ちて死んだ」とかいった「因果話」がついてくるところでしょうが,著者は,それを「アニメーターのOさん」が見た話として,そのまま(いわば「レア」のまま)ぽんと投げ出します。しかし,そこに何の説明も加えないがゆえに,「雪の上に点々とついた素足の子どもの足跡」という視覚的イメージが鮮やかに浮かび上がり,なおかつそのイメージの持つ「理由のない不安感」が巧みに醸し出されています。
 同様に,「第六十九話 地下室」は,家の改築の際に“発見”された,家人の知らない地下室の話です。なぜこんな地下室が作られたのか? 地下室には誰がいたのか? といった説明・解釈はいっさい提示されません。地下室の「由来の不明性」が,読者の想像力をさまざまに刺激することになります。
 もしかすると,著者たちがこれらの話を聞いたときには,いろいろな「因果」や「由来」がくっついていたのかもしれません。もしそうなら,著者たちは,それらをばっさり切り落とすという,「語らずして語る」というじつに高度な表現テクニックを採用したのかもしれません(ちょっと穿ちすぎの褒めすぎ?^^;;)。まぁ,いずれにしろ,「実話」かどうかの詮索はともかく,(陳腐なものもないわけではありませんが)「怪談集」としてなかなか出色の出来ではないかと思います。

 このほか,わたしが楽しめたエピソードとしては,夜道を自動車で走っていると,茶色のセダンに何度も抜かれるという「第十四話 茶色のセダン」,ラスト・シーンが生々しい「第二十二話 バスの中の女」,雨の日だけに猫の足音が聞こえるという「第四十一話 雨の日の音」,どこかユーモア感のある幽霊話「第四十二話 あ,そうか」「第八十二話 消える水割りウィスキー」,3階の病室で窓からラーメンを注文するという「第八十話 病院のラーメン屋」といったところでしょうか。
 また「第七章 狐狸妖怪を見たという十二の話」におさめられたエピソードは,現代世界においても狐狸妖怪が活躍する場があるのだなぁ,と,なにやらしみじみとします^^;; 
 それから「第十二章 “くだん”に関する四つの話」は,小松左京の名作ホラー「くだんのはは」にまつわる不気味な話を集めており,小松作品は,本当にフィクションなのだろうか,と思わせます。

 なおウェッブ上にも『現代百物語 新耳袋』というページがあり,本書には収録されていない話を読むことができます。

98/04/08読了

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