ルシアン・ネイハム『シャドー81』新潮文庫 1977年

 「こいつらはチェス選手みたいなものだ…次の手が予測できない…」(本書より)

 ヴェトナム戦争末期,グラント・フィールディング大尉は,墜落を装い,アメリカ軍を脱走した。最新鋭ジェット戦闘機TX75Eとともに…3週間後,ロサンゼルス発ホノルル行の旅客機PGA81便が“ハイジャック”される。だが犯人は機内ではなく機外にいた。旅客機の後方,その死角に潜む完全武装のジェット戦闘機がハイジャッカーなのだ。旅客機の乗客を人質として,犯人“シャドー81”は2000万ドルの金塊を要求。地上の関係機関はパニックに陥り…

 高校生の頃に読んで,じつにおもしろかった記憶のある作品の,20年ぶりくらいの再読です。古書店で見つけて速攻で購入したのですが,奥付を見ると1999年にも増刷(それも30刷!)していたようです。やれやれ(^^ゞ
 ところで「訳者解説」を読んだら,本書は,1977年,第1回目の『週刊文春』「ミステリーベスト10」の第1位にランクインされているんですね。「さもありなん」といったところでしょう。またその解説の「追記」によれば,本業がジャーナリストであるこの作者,小説はこの1編を発表したのみで,すでに物故されているとのこと。これだけの作品を書ける力量があるのに残念です。

 さて物語は3部構成になっています。「第1部」は,本編の主人公グラント・フィールディング大尉が,最新鋭ジェット戦闘機TX75Eに乗って,ヴェトナム戦争から脱走するプロセスを描いています。細心の注意を払いながら,ひとつずつステップを登っていくように,計画を遂行していくグラントの姿は,どこか,依頼を遂行するために入念な準備を施すデューク東郷を思わせるようなところがあります(笑) ですからストーリィの展開はややスロウ・ペース。文庫カヴァ裏の「梗概」を読んで買われた方は,ちょっと戸惑うかもしれません(「梗概」では,すぐにでもハイジャックするような感じで書かれていますものね)。
 しかしここでの丁寧に描かれたさまざまなシーンは,グラントのキャラクタ−目的のために着実かつ大胆に物事を進めていけるだけの力強い意志と体力を持ったキャラクタを浮き彫りにすることに成功しています。さらにこの部分で,泥沼化するヴェトナム戦争が産み出した一種の「虚無感」が,グラントを犯罪に走らせるモチベーションとして設定されているように思います。

 そして「第2部」,いよいよ「本番」です。ボーイング747PGA81便の後尾にぴったりと張りついた“シャドー81”ことグラントは,アメリカ政府に対して2000万ドルの金塊という,途方もない身代金を要求します。この部分で,もっとも楽しめるのが,グラントと旅客機のパイロットハドレー機長,ロサンゼルス空港の主任管制官ブレイガンの三者による行き詰まる無線交信でしょう。いずれも立場こそ違え,それぞれに“プロフェッショナル”としての仕事を遂行しようとする各人の判断,読み,駆け引きは緊張感にあふれています。さらにそこに作者は,選挙を目前に控えたアメリカ大統領,血気盛んで何かと強硬手段を執りたがる軍部首脳,特ダネを求める新聞記者など,多彩なキャラクタの思惑や欲望を絡ませながら,緊張感を高めていきます。また,ちょうど映画のように,ハイジャック発生にともなうパニック・シーンを断片的に挿入することでスピード感を与えています(もともと本作品は映画の脚本として構想されたというのも頷けます)。
 それともうひとつ,この作品におけるハイジャックは,ある意味「誘拐」的な側面も持ちます。200人もの乗客乗員を誘拐したとも言えるわけです。その際に一番のクライマクスになるのが,その「身代金」の奪取という局面です。2000万ドルに及ぶ金塊をいかに犯人は手に入れるのか? そこが焦点となります。ここで作者はじつに「頭のいい」作戦を用意します。詳しくはネタばれになるので書きませんが,ユーモアも感じられるような「一手」で,なるほどなぁ,と感心しました。

 最後の「第3部」。「第2部」のスピーディでサスペンスフルな展開に目を奪われ,気にかける余裕のなかった,「第1部」で「あれ?」と思っていた,いくつかのシーンが,ここで思わぬ「真相」へと結びついていきます。このあたりの配慮の行き届いた「お話作り」は巧いですね。そしてもうひとつ,ここでもグラントのキャラクタ設定が活きてきます。ギリギリのサスペンスの果ての,下手をすれば陰惨な展開になりそうなところを,グラントのキャラクタが,それを上手に回避し,犯罪を描きながらも後味の良いエンディングへと導いていきます。そこがこの作品の冒険小説としての良質さを示しているところなのでしょう。

 冒険小説として,犯罪小説として,おそらくはこれからも読み継がれていく作品でしょう。

02/06/16読了

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