森博嗣『人形式モナリザ』講談社ノベルス 1999年

 「言葉こそが,悪魔であり,神であり,私たちの罪でもある。でも,そこにしか,真理はないのよ」(本書より)

 小鳥遊練無がアルバイトする蓼科高原のペンション“美娯斗屋”にやってきた保呂草潤平,香具山紫子,瀬在丸紅子の面々。彼らは人形博物館で演じられる“乙女文楽”を見に行くが,その舞台上,殺人事件が発生! 衆人環視下で犯行はどのように行われたのか? そして同じ高原の美術館で起きた絵画盗難事件との関係は?

 新シリーズ第2作であります。犀川&萌絵シリーズに対して保呂草&紅子シリーズというのでしょうか? でも,そうすると練無紫子の立つ瀬がなくなってしまうかな?(笑)
 たしかにそうなんですよねぇ・・・練無と紫子の役回りがいまひとつはっきりしないことが,どうもストーリィの展開を拡散させてしまっているように思うんですよねぇ。完全な狂言回しで事件を引っかき回すなら,それはそれでいいのですが,ちょっと中途半端な感じがして仕方がありません。まぁ,たしかに保呂草紅子だけだと,謎解きシーンで,
紅子「犯人は○○ですね」
保呂草「そうですね」

で終わってしまうから,やっぱりワトソン役として必要なのかもしれません(ふたり必要かどうかはともかく^^;;)

 さて物語は,蓼科高原の人形博物館乙女文楽上演中に起きた衆人環視下での殺人事件で幕を開けます。どのように犯行を行ったのか? なぜ舞台上という目立つ場所で殺したのか? そして誰が? ミステリとしてはオーソドックスなオープニングと言えましょう。
 で,その事件の前に瀬在丸紅子が乙女文楽を見ながら,人形と,その人形を操る人間との関係について,いろいろと感じ,考えをめぐらすのですが,そのシーンが鮮やかで個人的には心に残りました(以下,ちょっとネタばれ気味です。ご注意を^^;;)。ただその鮮烈さゆえにでしょうか,今回の事件というか,物語の全体像が見通せてしまうというところがあります。
 もともとこの作者は,さまざまなアフォリズムめいたセリフを散りばめながら,それを事件の真相やトリックに直接間接的に結びつけて,読者を煙に巻くところがありますが,この作品の場合,その描写が少々ストレートに出過ぎてしまっているような面があるのではないでしょうか?(本書のヴォリュームとも関係するのかな?) でもトリックそのものは,本作品のメイン・モチーフとマッチしたきれいですっきりしたものだと思います。

 それから,なにかと噂(?)になっている,ラストの一文についてですが,わたしとしては「なるほど」という感じで,すぅっと納得できました。この作者の作品では,犯行の動機とか背景を意図的に詳しく描かないところがありますが,逆にそのことが読者の想像力を刺激する効果を持っているようにも思います。そういった意味で,このラストの一文は,事件の背後にあった(かもしれない)底知れぬ「闇」を浮かび上がらせるのに効果的だったのではないかと思います。

99/09/15読了

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