篠田節子『夏の災厄』文春文庫 1998年

 東京近郊の埼玉県昭川市。人口8万6000人のベッドタウンで突如日本脳炎が発生。ほぼ撲滅されたとされる病気がなぜ今頃に? しかもその症状は,従来知られていた日本脳炎よりはるかに発症率,致死率が高い。燎原の火のごとく広がる病魔,後手後手に回る行政,昭川市はパニックに襲われる・・・

 これまで読んだ篠田作品は,いまひとつ馴染めないところがありましたが(そのくせ文庫化されると必ず読んでましたが(笑)),この作品は存分に楽しめました。いやぁ,おもしろかったです。

 「バイオ・ハザード(生物災害)」を素材とした作品というと,小説や映画でもスペクタクルなシーンがたくさん出てくるというイメージがあります。たとえば背後に大企業や軍隊の陰謀が絡んでいて,それに対して主人公が正義の闘いを挑む,といったような感じです。SFやホラーならば,遺伝子操作によって造られたキマイラやモンスタが大暴れ,といったところでしょうか。
 ところが本作品は,同じ「バイオ・ハザード」を扱っているとはいえ,かなり趣が異なっています。ところどころスペクタクルなシーン―地域住民同士の抗争や,自衛隊による「駆除作戦」の顛末などなど―が描かれているとはいえ,広がる原因不明の病気を前にした人間たちの姿をリアルに描きだしていきます。たとえば,最初に病気が発生した地域住民とそれ以外の住民との間に起こる摩擦,確執,差別や,既存のシステムに依存し,思い切った打開策を打ち出せない行政や官僚,とくに首都東京に病気が広がる可能性が生じるまで重い腰を上げない厚生省,学閥と派閥にがんじがらめになり身動きのとれない大学や開業医たちの姿を描き出していきます。また作中,昭川市は「中途半端に都市化された町」として設定されていますが,その「中途半端」であるがゆえに起こる災害や事件が描かれていきます。このような町は,おそらく日本中各所に存在するでしょう(わたしが生まれ育った埼玉の某市も似たような感じです)。
 つまり荒唐無稽な「バイオ・ハザード」ではなく,「本当に『バイオ・ハザード』が起こったら,こんな風になるんじゃないだろうか?」というようなリアリティを感じさせます。

 またリアリティといえば,「バイオ・ハザード」を扱う作品は,いわゆる「パニックもの」によく見られるように,立場や身分を離れて,縦横無尽に活躍する主人公(たち)を設定する場合が多いですが,この作品で主人公的な立場にある人々は,けっしてそういったタイプではありません。昭川市保険センターに勤める小西誠,「インフルエンザ予防接種反対」を掲げる医師・鵜川,保険センターの看護婦・堂元房代らは,いずれもそれぞれに弱点を持ち,矛盾を抱える等身大の人物として描かれています。四角四面で融通の利かない行政組織,利権がらみでワクチンを出し渋る薬品会社のプロパーなどに怒りを覚えつつも,(多少は「冒険」もしますが)それぞれの立場でできうる限りのことをやろうとします。そこには「ヒーローもの」で味わえる爽快感はありませんが,だからこそ味わえる重厚さと感動があるように思います。そのことは「ヒーローの活躍による解決」ではなく「当事者たちの選択」(なんの選択はネタばれになるので書けませんが)という形で物語を終結させたラストにも通じるものがあるのでしょう。

 ストーリィも,魅力的なイントロ,途中で「ほっ」とさせておいてふたたび緊張感を高める手法,「なぜ日本脳炎が発生したのか?」という謎といった具合に,なかなか「ツボ」を心得た展開で,やや長めの作品ではありますが,一気に読み通させるだけの牽引力を持っていると思います。

 でも蚊に刺されるのがちょっと怖くなってしまいました(笑)。

98/06/17読了

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